6月10日


PM 6:21 -Zoro-



 その日は雨が降っていた。


「今日の夕飯何にする?」
「あー…」
「言っとくが、『何でもいい』はナシだぞ」
「…冷蔵庫、何があった」
「えーと、合挽き肉とネギと…」
「じゃあ麻婆豆腐」
「お! 了解! それじゃ先に帰って用意しとくからよ、帰って来る前に電話寄越せよ」
「分かった」
「んじゃぁな」
 ピッ。
 それきりもうサンジの声は聞こえなくなった。
 外は、雨。
 携帯電話をカバンに放り込み、体育館の出口へ向かう。
 サンジには言わなかったが、今日は練習はない。昨日の部内会議で、活動曜日を 別の日にすることが決まったのだ。
 だから今日は早く帰ろうと思う。日課の走り込みだけは外せないが、それでもいつも より早く帰れるはずだ。早く帰って、サンジの作るアツアツの麻婆豆腐を食べよう。
 5月の頭に、俺たちは大喧嘩をして、そして仲直りした。
 喧嘩の最中は最悪な気分だったが、今となってはいい経験だったと思う。相変わら ず喧嘩もするし、何日か会わなかったりもするが、俺たちは心の奥底で繋がっている のだという確信が持てるようになった。
 どんなことがあっても、必ず想いは通じるのだと。
 レインコートの上着をはおり、同じくカバーをかけたリュックを背負う。ズボンの方もは いて、雨対策を講じると、俺は雨の中へ踏み出した。
 ぱたぱたとレインコートを叩く音が賑やかだ。
 校内を抜け、校門へ向かう。
 体育館前のグラウンドには、いくつも大きな水溜りが出来ていた。雨が上がったら、 砂を運んできて埋めてやらなくては。
「あっれ、ゾロ!」
「おう、ウソップ」
 校門の前で、黒い傘を指したウソップと鉢合わせした。どうやら1人のようだ。
「なんだよ、今日はもう帰りか?」
「部活が休みだからな。トレーニングだけやってきた」
「で、今から走り込みかよ。毎日大変だな」
「別に、日課だし大変じゃねぇ」
「オレから見りゃ大変だっつの。ま、風邪引かねぇ程度に頑張れよー」
「ああ、そっちもな」
 ひらひらと手を振るウソップと別れ、再び走り出す。
 路面はすっかり濡れていて、気をつけないと滑る可能性がある。滅多にそんな事は ないが、万一ということもあるから、できるだけ鉄板やマンホールの上を避けて走っ た。
 大学から俺の家までは歩いて40分ほどかかる。普通は電車を使う距離だが、俺はト レーニングも兼ねて走って通学していた。走れば20分ほどでつくことが出来る。あと10 分ぐらい走ったら、サンジに電話しよう。
 早すぎる帰宅だが、アイツは喜び半分怒り半分で迎えてくれるだろう。
 多分まだ麻婆豆腐は出来てないだろうから、今日は俺も手伝おう。サンジは下手くそ だの不器用だのと煩いが、キッチンから決して追い出そうとはしない。それが楽しい し、嬉しいのだとは口が裂けても言えないが。
 サンジが料理をするところは、オーケストラの指揮に似ている。
 時に大胆に、時に繊細に動く腕と指先。のみならず全身を使って鍋を振り、一度に幾 つもの料理を仕上げていく。バラバラの食材を1つの料理にまとめ上げる。俺はだた見 とれるばかりなのだが、サンジには俺がボーッとしているように見えるらしい。包丁や おたまで指揮をとりながら、矢継ぎ早に指示を飛ばしてくる。そういう所も含めて、オー ケストラの指揮に似ていると思う。
 今日は麻婆豆腐だから、俺はニンニクのスライスとショウガをおろすのを手伝おう。 どっちも匂いがきついから、終わった後、手に食欲を誘う匂いがつくが。
 雨の線路沿いに走る。
 後方、つまり大学の方から電車がやって来たのでちらっと目をやると、偶然にも手を 振るナミとルフィが見えた。
 サンジに聞いたが、あの2人は付き合っているそうだ。
 それもルフィの誕生日からだという。
 …そう言われてみてもよく分からない。それまでもとても仲が良かったし、大学で見 かける分には今までと何か変わったような所は見つけられない。サンジに聞かなけれ ば、しばらく気付かなかったであろう自信があるくらいだ。
 電車はあっという間に俺を追い抜いて行ってしまった。
 これからルフィの家にでも行くのだろう。…あれから1ヵ月、どのへんまで進んだの か。
 サンジが聞いたら頭から湯気を立てて怒りそうな事を考えながら、俺は延々走り続 けた。
 線路沿いの道を離れ、商店街を抜け、裏通りを走る。
 ここは一方通行で、車がほとんど走ってこない。道の両脇の古い家は、道路に好き 勝手に鉢植えやプランターを置いていて、通り全体がごちゃごちゃした感じになってい る。だが、俺はこの生活感漂う道が好きだ。





















 ゾロ


















 不意にサンジの声が聞こえたような気がして立ち止まる。
 …そうだ、そろそろ電話しないと。
 濡れないように、民家の軒先に入り、携帯電話を取り出す。
 昔はあんなに苦手だった携帯電話も、今ではきちんと使いこなすことが出来る。
 電話帳からサンジを呼び出し、通話ボタンを押す。



















 出ない。

















 調理中で気付かないのだろうか。
 風呂にでも入っているのだろうか。
 いや、サンジはいつも携帯電話を身近に置いている。俺からかけてサンジが一発で 出なかったことは数えるほどしかない。
 どうしたのだろう。

 俺は携帯電話を切るとポケットに突っ込み、走り出した。
 どうせあと10分弱も走れば家に着けるのだから、直接確認した方が早い。
 家々の間を抜けて、信号を1つ渡り、また裏路地に入る。
 家までは、この路地を抜けて、左に曲がった交差点を


 


 
 交差点、を











 なんだ。











 なんだよ、あれ。













 あの赤いのは何だ。
 倒れてるのは何だ。
 赤く染まっていく金色の髪の

























「サンジ!!!!」



























 何がどうなってる
 どうして

 距離感がない。
 時間の感覚も。
 いつの間にかサンジの側にへたり込んでいて、名を呼んで。
 呼んで。






 呼んで。










 呼んで。















 そうしたらサンジはちょっと笑って言った。
「ごめんな、ゾロ」


 そして目を閉じた。












 何   が

 ど       うな              っ  て

 サンジ

 あ かい

 これは
 血?

 サンジの腕が




 腕が















 誰か

 誰か

 誰か

 早く

 サンジを

 サンジが何より大切にしている腕を

 誰か





 誰か助けて













「     た す     けて  く   れ   」













 だれ   か。



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