その日は雨が降っていた。
「今日の夕飯何にする?」
「あー…」
「言っとくが、『何でもいい』はナシだぞ」
「…冷蔵庫、何があった」
「えーと、合挽き肉とネギと…」
「じゃあ麻婆豆腐」
「お! 了解! それじゃ先に帰って用意しとくからよ、帰って来る前に電話寄越せよ」
「分かった」
「んじゃぁな」
ピッ。
それきりもうゾロの声は聞こえなくなった。
外は、雨。
ゾロの家の近くにあるスーパーで買い物を済ませ、俺は薄い水色の傘を広げて歩き
出した。
今日はゾロの家に夕飯を作りに行く日だ。
この前作ったのは、ゾロが食べたいというから肉じゃがだった。それも、ジャガイモを
わざと煮崩したやつだ。ゾロは、これをご飯に載せて食べるのが好きで、鍋一杯に
作ったそれをあっという間に食い尽くしてしまう。ただ、何でもご飯にかけて食べるのが
好きだというのはちょっとどうかと思う。そりゃ確かに混ぜご飯は美味いと思うが。
買い物袋の中には、ニラ、丁度切れていたトウバンジャン、木綿豆腐、牛乳、フルー
ツミックスの缶詰、寒天が入っている。麻婆豆腐のその他の材料はゾロの家の冷蔵庫
の中、牛乳その他はデザートの牛乳かん――別名ナイ豆腐、牛乳で作る豆腐のデ
ザートの食材だ。
雨だというのにたくさんの人が行き交う大通りを東へ歩く。
風は冷たく、夏用の薄手の麻のジャケットが湿気を吸ってひやりと冷たい。
路面の水たまりの跳ね返りで、デニムジーンズのかかとが少しずつ濡れていく。
傘を指しているのに、何故だか段々手に水滴が増えていく。
雨は嫌いじゃないが、こう毎日続くと鬱陶しい事この上ない。早くゾロの家に行って、
同じくびしょ濡れで帰ってくるであろうゾロのために、アツアツの麻婆豆腐が作りたい。
ご飯は4合も炊けば足りるだろう。いまだに成長期なゾロはやたらと飯を食うからな。
信号が変わるのを待ちながら、麻婆豆腐の作り方を頭の中でシュミレートする。
〜サンジの30分間クッキング、麻婆豆腐編〜
1)まずはカット
●ニンニクをスライス、ショウガを適量すりおろし、ボウルに入れておく。
●ニラを4〜5cm幅に切り、ネギをみじん切りにする。
●豆腐を大きめのさいの目切りにして、クッキングペーパーで上下をはさみ、皿で押さ
えて水分を抜く。
2)先に調味料を合わせる
●塩、胡椒、水、赤味噌、あわせ味噌、トウバンジャン、醤油、日本酒、酢を好みの味
になるまで合わせ、よく混ぜておく。
豆腐から少し水が出ることも考えて、やや濃い目にしておくのがベスト。多めに作
る。
3)一気に炒める
●フライパンを胡麻油で熱し、まずは輪切りにした鷹の爪、ゴマ、ニンニク、ショウガを
炒める。
●ニラを全部と、みじん切りにしたネギを半分ほど投入して炒める。
●挽肉を加えて炒める。ここで軽く塩コショウし、さらに山椒をふる。辛くしたければここ
でトウバンジャンを小量加える。
●挽肉の表面が焼けたなと思ったら、豆腐を投入する。
●少し炒めたら、作ってあったタレをいれて炒め煮る。
4)仕上げ
●水溶き片栗粉を入れ、とろみをつける。
●皿に盛り、ネギの残りを散らして出来上がり。
あとは、食ってる最中は何か一生懸命で無言になる緑の頭のムキムキ男を1人食
卓につかせておいて、おもむろにアツアツの麻婆豆腐を鼻先に近づけてやりましょう。
盛大に腹の虫が鳴く音を聴くことが出来ます。
ちなみに筋肉マリモは語彙が少ないので「美味い」を連発しますが、誉められている
のだから素直に喜びましょう。これはルフィ部長も同じ事ですので覚えておきましょう。
なお、お代わりは自分で行かせるように注意しましょう。甘やかしてはいけません。
…そこまで想像して、思わずにやける。
食ってるアイツは本当に面白い。何回見ても面白い。新陳代謝がやたらと活発なの
で、飯を食うとすぐ汗をかくのだ。今日もハンドタオルを出しておいてやらなくては。
ゾロは何時ごろ帰ってくるだろう。時間一杯練習して、その後走りこみをしてから帰っ
てくると仮定すると、9時頃になるだろうか。遅くなれば10時になりかねない。雨が降っ
ていようが何だろうがお構いナシだ。…風呂も沸かしといてやろう。
いつの間にか人通りの少なくなった道を歩く。
雨空のせいで早くも暗くなってきた。
逢魔が時、ってやつか。
「…ックシ!」
おまけにクシャミですか、サンジさんよ。
こりゃ早い所ゾロの家に行かないと、風邪をひきかねない。
俺は歩調を早めたが、ゾロの家手前の交差点で信号にひっかかった。今日はよく信
号にひっかかる。急いでいるときに限って信号が赤なのは、政府レベルの陰謀なん
じゃないかとウソップが言ってたっけ。…ンなバカな。
「…ックショイ!」
またもやクシャミですか、サンジ殿。
やれやれ風邪は困るぞ、そう思いながら青信号の横断歩道を渡る。
あれ?
あの車すげぇ早くねぇ?
赤信号…だよな。
こっちは青、うん、合ってる。
あれ?
止まらない?
やめろって早くブレーキかけろよ、そんなスピードじゃ…
冗談じゃない。
俺は今日は麻婆豆腐を作るんだ。
んで、デザートはナイ豆腐なわけよ。
早く帰らないと、腹ペコで帰って来るデッカイ子どもが困るんだよ。
どうせびしょ濡れだろうから、風邪引かないように風呂も沸かしといてやりたいんだ。
後で酒のつまみもつくってやって、一緒に雨見ながら酒飲もうかな、なんて。
ああ、ゾロ。
ごめんな。
今日、お前の家に行けねぇわ。
明日も無理かな。
明後日も無理かな。
明々後日も無理かな。
・・・・・・いつ、行けるかな。
ゾロ。
ゾロ――
急発進していく車のたてる耳障りな音。
奇妙な角度に折れ曲がった腕と広がる赤い液体。
折角買ってきた食材がぐちゃぐちゃだ。
ああ、雨が、冷たいな。
携帯電話が鳴っている。
この着信音は、 ゾロだ。
ゾロ。
・・・・・・ゾロ、
ゾロ
…あれ、おかしいな。
ゾロのことばっかり考えてたからかな。
ゾロが見える。
幻、かな。
幻でも、ゾロが見れて嬉しいや。
この幻、何かわめているな…ああ、そうだ、今日俺お前の家行けなさそうなんだ。
食材もこの有り様だしな。
そんな顔近づけて怒鳴んなよ、悪かったって。
謝るからさ。
ごめんな、ゾロ。