022:足枷 -3-


「おう、セイ」
「っと、ゾロ!」
 部屋を飛び出したサンジは、こともあろうに曲がり角でゾロに出くわしてしまっていた。
 さっきまでは一番見たかった顔だが、今となっては一番見たくない顔である。
 さっさと行き過ぎようとしたサンジは、ゾロの服装が変わっていることに気がついた。
「なんだ、その格好?」
「…さっき、あのバアさんに押し付けられた」
 昨日までは、適当に破いたサンジの服を羽織っていたゾロだったが、今はまともな衣装に身を包んでいた。
 黒紗という柔らかな布で作られたズボン、脛を覆う革のブーツ。同じく黒紗のシャツ。それらの黒い服に映える、赤革のベルト。この上からマントでも羽織れば、立派な旅装束の完成である。…基調の色は黒いくせに、妙に派手な感じがするが。
「なかなかいい趣味じゃねぇか、あのバアさん」
「タダでくれるってんだが、どうも裏があるような気がしてしょうがねぇ」
「少ない脳味噌でよくぞ気づいた、俺もそう思…」
 そこまで言って、サンジは思い出した。
 ――んなこと話してる場合じゃねぇんだった!
「ちょっと急いでんだ、悪ぃな!」
「って、おい、どこ行くんだよ」
 すり抜けようとしたサンジの手を、ゾロがすんでの所で捕まえた。
 ――?
 ゾロが感じたのは、奇妙な、違和感だった。
 手首を掴んだ掌に感じる、奇妙な感触。
 確かに、服の手触りを感じる。その下には当然サンジの腕があるはずだった。だがそれは妙に細く…そして頼りないような気がしたのである。
 それにゾロが戸惑っているうちに、サンジは腕を掴まれたまま、逆ゾロを引っ張った。
「そうだ、丁度いい。今すぐここを出るぞ」
「はぁ?」
「そうそうやっかいになってもいられねぇしな、よし行くぞ!」
「待て、俺はお前に訊きたいことが……」
「あーっ! いたぁーっ!」
 廊下の向こうから突っ込んでくる桜色のシルクハットに、サンジは笑顔を引きつらせた。
「やべぇ」
「セイさぁぁぁん!」
「悪い、ゾロ、俺先に帰っから! 気が済んだら腕輪で呼べよ、じゃあな!」
「はぁ!?」
 そう言うなり、サンジは身を翻して再び走り出した。
 ゾロが慌てて追いかけようと一歩踏み出した所へ、チョッパーが突っ込んでくる。
 …廊下は、そんなに広くなかった。
「ぎゃあああ!」
「うぉい!」
 間一髪、自分に激突しそうになったチョッパーを抱え上げ、ゾロはため息をついた。
「あぎゃぁぁ喰われる、あぁわわあ」
「おい」じたばたと暴れるチョッパーの眼を真正面から見据え、ゾロは一言ずつ区切るように言い聞かせた。「俺は、お前を、喰わないぞ」
「…」
 傍から見ればかなり珍妙な光景である。言っている側は、台詞とは裏腹に今にも噛み付きそうな表情だったし、言われている側はがっちり抱き上げられてプルプル震えているのだから。
「とにかく、行くぞ」
 ゾロは有無を言わさずチョッパーを小脇に抱え、サンジの後を追って走り出した。
 プルプル震えていたチョッパーはようやく我に返り、ゾロの腕に噛み付いた。
「いでぇっ!」
 緩んだ隙に飛び降り、先にたって走り出す。
 その手足と鼻先が見る見る伸びて、本物のトナカイの姿に変わった。
「ま、魔法…」
「違うよ、獣の民はみんなこうなの! 早く、オマエもセイさんのこと追いかけてるんだろ!」
 ゾロは知らなかったが、獣の民は3つの姿を持つ種族なのだった。
 1つは、本来の獣としての姿。もう1つは、半人半獣の姿。最後の1つは、人間の姿。獣の民は、これらの3つの姿を、いつでも自由に選び取ることが出来るのである。
 …ということが分からないゾロは、眼を点にしたまま、チョッパーに並走してくれはの隠れ家を飛び出していった。





 ――あーあ、俺、何やってんだろ。
 サンジは再び屋上庭園に戻ってきていた。
 空は曇り、今にも雨が降りそうで、遥か遠くに見える平原は既に白く煙っている。
 ざあっと白い花が一斉に揺れた。
「…クスリ、もたねぇよなあ、これだけじゃ」
 胸の上から小瓶をしまった辺りを押さえ、サンジはうつむいた。
 あの小さな医術師の言うことが正しいのは分かっている。実際、クスリの効き目は徐々に弱くなっているし、神殿を逃げ出して以来、一度も医術師に診察を受けたこともない。自分の体の現状が、サンジには正確に分からないのだった。ただ漠然と、本能で察知している――もう、そう長くは旅を続けられないだろうということを。
 細い、白い腕を見る。
 くれはにはバレてしまったが(チョッパーにもバレかけているが)、皆にはバレていない。
 実は、サンジは、自分にずっと1つの魔法をかけ続けているのだった。
 この国に入る前に使った、姿変えの魔法。その、もっと強力なものを、神殿にいた頃からずっとかけ続けているのだ。

 今、サンジは二重に変身しているのだった。

 旅の剣士・セイの姿。
 健康で元気にあふれた“奇跡の歌い手”サンジの姿。
 その二つを解けば、サンジの現在の本当の姿が現れる。

 白すぎる肌、痩せた手足、褪せ始めた金色の髪。…人形症に侵されたサンジの姿。

 それは、どう見ても病人の姿だった。
 だから絶対に誰にも見せられない。精神力を維持するのは、やや骨が折れるが、この変身の魔法だけは絶対に解くわけには行かないのだった。
 ――皆は、「健康で元気にあふれた“奇跡の歌い手”サンジの姿」が、本当の俺の姿だと思ってんだよな。
 ――そう思ってくれていなければ、困る。
 ――だって、本当の俺は、こんなに痩せちまって、小さい。
 “奇跡の歌い手”であるサンジの魔法を見破れるのは、鬼の眼のような、生まれ持っての特殊な能力者か…あるいは自分自身しかいない。逆に言えば、サンジにはいつでも見えてしまうのだ。自分の、やせ細った姿が。
 それはサンジを追い詰める。現実を突きける。…まるで足枷のように、サンジを拘束する。
 サンジは顔を上げ、遥かな地平を眺めた。

 オールブルー。
 奇跡の地。
 そこへ行けば全ての苦しみが消え、全てが手に入る、永久の楽園。
 実在するかもわからない、伝説の場所。
 ジジイが行ってみたいと言っていた、夢のような…美しい世界。

 ――もうクソジジイには行けないだろうから、俺が代わりに行ってみようと思ったんだ。

 サンジが「オールブルーに行きたい」と言ったときの皆の反応は、それぞれだった。
 ルフィは、あっさり首を縦に振った。
 「オールブルーに行けば、色んな肉が食えるらしいぞ」の一言が効いたのかもしれない。 
 ウソップは、自分がほら吹きのクセに、他人のホラや、民間伝承といった類のものには懐疑的で、中々同意はしなかった。
 「オールブルーに行けば、勇者とあがめられること間違いナシだな」の一言で、あっさり了解したものだが。
 ナミは一番渋ったが、自分で様々な資料を検討した結果、納得の上でうなずいた。
 「絶対に無い、とは言い切れないみたい。伝説っていうのは、その裏側に、色んなことを隠しているものだから」という言葉に、一同は感心したものだった。
 ゾロは。
 そういえばゾロはどうなんだろう、とサンジは今更首を傾げた。
 うやむやのうちに一緒に旅をすることになったものの、オールブルーに関して、彼はどのように考えているのだろうか。いや、そもそも自分に対しては?

 ――…どうすりゃいいんだ。
 
 本当なら、とっくの昔に全てが破綻しているはずなのだ。けれど、問題を隠して、見ないようにして、何とかここまでやって来た。やって来られたのだ。
 しかし、それも、ゾロの出現によって再びほころび始めている。

 サンジは痩せた手で顔を覆った。
 全てを投げ出してしまいたいという衝動と、全てを大事にしたいという想いが、彼の中で複雑に入り混じり、心を刺した。

 サンジが思考の迷宮に嵌りかけた瞬間。

「おい、お前! ここで何をしている!?」
 実に耳障りで気に障る声が、ただでさえ悪かった気分をさらに最悪なものにした。
「…」
 サンジに返事をする気はさらさらない。懐から煙草を取り出し、口の端に咥える。
「貴様、そこの剣士! 今すぐここから立ち去れ!」
「…あぁ?」
 険悪な表情で振り返ったサンジに、6人ばかりいた男たちは一瞬息を呑んだ。
 変身していても、サンジは十分美人だった。それに、腹を立てていたせいで目つきは物凄く凶悪で、そのギャップは男たちの気を呑んでしまうのに十分だったのだ。
 呆けている男たちが可笑しくて、サンジは少し笑った。
 しかし、その格好に気づいて笑顔が消える。
 甲冑の胸元に刻まれた、どぎつい金色の紋章。
 それは、ドラム王国の国章だった。
 さらに、男たちは手に手に鎌や松明を手にしていた。
「…で、何か用?」
「…わ、我々は今からこの庭園を焼き払いに来たのだ」
「何?」
 ますます凶悪な面になるサンジに、男たちはしどろもどろに説明した。
「国王陛下直々のご命令で、この庭園を整備し、新たにこの場所に工場を設置することになったのだ」
「見たところ旅人のようだな。知らんのも無理は無い。今、我が国は武器生産と輸出で空前の好景気に見舞われている」
「まったく、帝国サマサマだなぁ」
 まったくだ、と数人が同意する。
 サンジは顔を伏せた。
「とにかく、工場が足りん。一刻も早く増設せよとの厳命だ。貴様がここで何をしていたかは知らんが、すぐに立ち退いてもらおう」
「こんな花など何の役にも立たんしな。今頃他の場所でも整地が進んで…」
「…か」
「ここが終わったら、次はあっちの…何だ?」
「…帝国、か」
 サンジのただならぬ様子に、男たちは思わず後ずさっていた。
「ったく、どこまで行っても帝国、帝国、帝国…」
 次第にあがっていく顔。
「うぜぇんだよ」
 風に乗って男たちに届いた声は、ギラギラした怒りに満ちていた。
「この庭は、潰させない」
 サンジの脳裏を、ふと、ちいさな獣の民の少年の姿がよぎる。
 ゾロとサンジが、庭園を荒らしに来たのではないかと勘違いして、恐ろしいだろうに向ってきた愛らしい少年。
 ――…ああ、理由、聞いてなかった。
「何を言うか、これは勅命だぞ!」
「国王陛下の命に逆らえば、国外追放などという甘い裁きは下らんぞ!」
「へぇ、で?」
「貴様…!」
 男が一歩踏み出した。
 サンジが二歩踏み出した。
「ぎ」
 ぎゃあ、という悲鳴の後半は、蹴り飛ばされた兵士に激突された他の兵士のものと混ざって、雑音と化した。
「っ貴様ぁ!」
 激昂した兵士3人が一斉にサンジに討ちかかる。
 サンジは身を沈めると左手を庭園につき、全身をしならせて強烈な一蹴を放った。
 振り下ろされた剣は空を切り、3人が「よけられた」ことを自覚する前に、その体は宙を舞っていた。
 地面に激突し、横なぎに払われた胸部を押さえてのた打ち回る。
 サンジは無慈悲にそれらを見下ろすと、怯えて後ずさった若い兵士に眼を向けた。
 途端、兵士はへたり込んだ。
 意味を成さない呟きをもらしながら、必死に後ずさろうと試みる。
 しかし、その手が生暖かいものに触れ、彼は小さく悲鳴を上げた。
 それはサンジに最初に蹴り飛ばされて以降、ピクリとも動かない男だった。
「テメェ、さっき言ったな。ワポルの命令だ、って」
「そっそそそそううですっす」
「あの能無しクソ野郎…」
「めっめっめ命令で、お、おれたち仕方なく…」
「親父さんが亡くなって、あっさり帝国に尻尾振ったってわけか」
「あ、あ、あの、お、おれ、おれ…」
「さっきからうるせぇんだよ、少し黙ってろ!」
 怒鳴りつけられて、兵士は地面にうずくまって泣き始めた。
 サンジの怒りは、兵士にとっては不幸なことに、収まる気配を見せなかった。
「どうにもなんねぇのか、この国も!!」
 兵士は、上からの命令に何の疑問も持たず従う。民衆は、王の権力と懲罰を恐れて、立ち上がることをしない。
 何と情けない国に成り果てたことか、とサンジは天を仰いだ。
「テメェ、そいつら持って帰れ。今すぐだ、でなきゃテメェもこいつらと一緒かそれ以上の目に合わせてやる」
「あひ、ひいいい!!」
 ぼろぼろと泣きながら兵士は後ずさり、手近な一人を引きずろうとしてうまく行かず、結局単身で逃げ出した――一度も振り返らずに。
「はっ」
 ああいう兵士を見ると、サンジは思う。
 ――ウソップは、臆病だけど、卑怯じゃねぇよなあ。
 こんなときウソップだったら、必死こいて倒れた仲間を全員連れて行こうとするだろうに。
 一日ばかり会っていない親友の長い鼻を思い出して、サンジは微笑んだ。
「さあてと」
 仲間に連絡を取らなければならない。
 そして、激情に駆られて仕出かした事の後始末も。



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