021:傷跡 -2-

紅風の魔獣に至る道。




「俺は、契約なんて知らなかった。何も知らずに、何も分からないままに、この剣を手に した…」
 苦渋の表情で呟いたゾロに、くれはは無言で先を促した。
 ゾロはゆっくりと刀を引き戻し、その刀身を伝う赤い雫に陰鬱な視線を向けた。

 ――赤い色は、嫌いだ。
 ――故郷を奪い、幸せを奪った。

「三代鬼徹は…師匠の、形見だ」

 くれはは眉をひそめたが、ゾロはそれに構わず言葉を継いだ。

「間違いねぇ。あんたの言う、聖って奴は…俺の、剣の師匠だった男だ。師匠は…“鷹 の目”って剣士に負けて、死んだ」






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「世捨ての集落」By VaLSe様
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 ゾロは、彼の本名を知らない。
 いつから、故郷の村に彼が住んでいたのかも知らない。
 村人達が呼ぶように、ただ「師匠」と呼んでいた。それで十分だったのだ。
 物心つく頃には、他の村の子供達と同じように、彼の元で剣の道を学び、竹光を握っ ていた。
 生まれてすぐ、両親を流行り病で亡くしていた幼いゾロにとって、師匠は父親のような 存在だった。
 村は豊かで、人々の笑顔に満ち溢れていた。
 周囲を山に囲まれ、温暖で、豊かな水の恵みを受けた、まるで楽園のような所だっ た。
 時折、どこからか入り込んだ悪い風による流行り病で死者が出たほかは、皆長生きし て寿命で死んでいく…そんな村だった。
 愛すべき友人達。優しい村人達。そして、師匠の一人娘――くいな。
 くいなはゾロより一つ年上で、姉のようでもあり、ライバルでもあった。
 いつも2人は張り合っていたが、ゾロはどうしても剣でくいなに勝てなかった。
 それが悔しくて、幼いゾロは必死に強くなろうとしていた。
 同等になりたかったのだ。
 姉と。ライバルと。そして、憧れの女性と。
 …結局一度も勝てなかったけれど。
 
 7歳の、夏。
 黒い男が村にやって来た。
 つばの広い旅人用帽子、その下からのぞく鷹のように鋭い目、そして背負った巨大な 十字架に似た剣が印象的な男だった。
 男は、師匠を尋ねてきたのだった。
 いつものように一緒に遊んでいたくいなは、その男を連れて道場に帰ってしまった。
 「また後でね」という言葉と、汗を浮かべた笑顔を残して。
 やけに夕焼けが綺麗な日のことだった。

 夜。
 ふと、目が覚めたゾロは、何気なく外へ目をやった。
 目に映ったのは、赤々と燃え上がる村。
 眠気は吹っ飛んだ。
 ゾロの家は少し高台にあったから、気付くのが遅くなったのだった。
 わけも分からず草履を履いてから、思い至って、床の間に祀っていた父の形見――こ の村で採れた輝石を使い、この村で作られた刀“雪走”を取りに土足で家の中を走っ た。
 どうして刀が必要だと思ったのかは分からない。――だがそれは正しい行為だった。
 幼いゾロの手にも、雪走は不思議にぴたりと収まった。その名の如く、常にひやりとし た空気を纏うそれを手に、ゾロは燃える村の中を疾走した。
 村人達の名を呼びながら、ゾロは泣いた。
 答えるものは無く、青々と茂っていた田畑は燃え、そしてゾロは一人ぼっちだった。
 ようやく見知った顔を道端に見つけ、安堵して駆け寄ると、その友人には下半身が無 かった。
 絶叫して、膝をついて、必死に名を呼ぶ。
 返事はいつまで経っても返ってこなかった。
 ゾロは泣きながら走る。
 いつも野菜を分けてくれた小母さんは、びっくりしたように目を見開いてうずくまってい た。
 いつもイタズラを叱ってくれたお爺さんは、焼けて半分黒くなっていた。
 いつも遊んだ神社は何か巨大なハンマーに殴られたようにつぶれていた。
 何もかもが赤い色に染まっていた。
 風は血の匂いがした。
 走って走ってたどり着いたのは、誰より大切な幼馴染の少女の家。
 併設された道場の中に、彼女は倒れていた。
 ゾロが、何をおいても同等になりたかった少女。
 くいなは、美しい刀を握り締めたまま倒れていた。
 自分は何か叫んでいたように思うが、思い出せない。
 駆け寄って、転んで、這いつくばって近寄った。
 みんなで稽古に励んだ道場の床は何故だか真っ赤で、酷い匂いだった。
 目の前が暗くなる。
 おしまいだ。
 おしまいだ。
 何もかも、おしまいなんだ。
 ただその言葉だけが頭の中をぐるぐると回り、ゾロは床に突っ伏してすすり泣いた。
 どのくらい、そうしていたのだろう。
 唐突に、声がした。

「ゾロ」
 それがくいなの声だと気がつくまでに、数秒を要した。
 這い寄って、その顔に耳を近づける。
 その顔に浮かんだ、何もかも諦めた透明な微笑みを、ゾロは生涯忘れることは無いだ ろう。
「これ、あげる」
 そう言って、くいなは握り締めていた刀をゆっくりと差し出した。
「和道、一文字。お父さんに、もらったの。で、も、ゾロにあげる」
 その刀には、染み一つ無かった。
 そして、その真白な鞘にも。
 …くいなはこんなにも血を流しているのに。
「い、らねぇ」
 応えた声は、今にも消えそうに揺れていた。
 ――そんなもん、いらねぇから。生きてくれよ。
 そう言いたかったのに。 
「ねえ、ゾロ。ゾロは、私より、つよ、強く、なるんだよね」
「な、るさ。絶対、なる!! くいななんかよりずっとずっと強くなって、世界一の剣士になる んだ!!」
「じゃ、あ、ここに、いちゃ、だめだよ」
「――!!」
「たくさんの人と会って、たくさんの人と戦わなきゃ」
 ――違う。違う違う違う!!!
 ――俺が戦いたいのは、勝ちたいのは、お前だけなんだ!!
 ――お前に勝ちたいんだ、お前じゃなきゃ嫌なんだ!!
 けれども言葉は胸の内をぐるぐるとかき回すばかりだった。
「ね?」
 促されて、気持ちとは裏腹に、刀を受け取る。
 …受け取らねばならない、そう思った。
 刀は、魂。
 剣士の魂。
 ならば、これは、くいなの。
「大丈夫」
 くいなは微笑んだ。
「ゾロなら、きっと何処までも行けるよ」
 そしてそれきり動かなくなった。

 雪走と和道一文字を抱いて、ゾロは呆然と歩いた。
 暑い熱いあついアツイ。
 みんなみんな、燃えてしまう。
 俺も燃えてしまうのか?
 見上げた空まで赤い。
 おしまいなんだ。
 おしまい。
 ――ここにいちゃだめだよ。
 くいなの言葉が甦る。
 ――そうだ、俺はここから出て行かなけりゃ。
 ――でも、それでどうなるって言うんだ。
 ゾロは、燃える村の中をふらふらと歩き続けた。

 …そして、村の中央広場に。
 うずくまる、父のように慕った師匠を見た。
 それを見下ろして立つ、黒い男。
 手にした巨大な黒刀から滴り落ちる、赤い雫。
 一目でそれと分かった。

 すべて、
 この黒い男が、
 やったのだと。

 わめきちらしながら雪走と和道一文字を抜刀し、二刀流で切りかかったゾロを、黒い男 は何も使わずに止めた。
 殺意。
 まるで全身を切り刻むような、鋭い殺意。
 それだけで、ゾロは一歩も動けなくなった。
 刀を構えたまま、ただ歯を食いしばる。
 喉から搾り出したのは、ひどく震えた間抜けな声。
「おまえが、やったのか」
 黒い男は無感動に答えた。
「そうだ」
「――――ッがあああああああ!!!!」
 怒り、憎しみ、何より大きいのは哀しみ。あらゆる負の感情を込めた叫びは、けれどま るで他人の悲鳴のように遠くで響いた。
 代わりに耳元で声がした。

 動ケ。
 斬レ。
 怒リニ、殺意ニ、衝動ニ身ヲ任セヨ!

 気がつけば黒い男に斬りつけていて、その真っ黒なマントをほんの少しだけ切り裂い ていた。
 何の表情も見せなかった男が、僅かに目を見開いた。
 次の瞬間、ゾロは宙を舞っていた。
 男に蹴り飛ばされたのだと気付いたのは、地べたに這いつくばって血反吐を吐いてか ら。
 ゾロは顔を上げ、必死に身を起こし、もう一度向かっていこうと雪走を握り締める。
 男は、消えていた。
 正確には、ゾロの背後に立っていた。
「――今はまだ幼き獅子。稀有な者よ。我が名は《鷹の目》」
 全てを押し潰すような、気。
 ゾロは振り返ることすらできなかった。
「追って来るが良い」
 感情のない一言は、ゾロの中に渦巻いていたどす黒い感情に名前と形を与えた。
 すなわち、“憎悪”。
 ぎらぎらと輝き、血風をまとう刃。

「……ころして、やる」

 男――《鷹の目》は何も応えず、その気配は背後から唐突に消えた。
 どのくらい、這いつくばっていただろう。
 ようやく指先が動くようになった、そのとき。
「ああ、ゾロ、ですね」
 弾かれたように飛び起き、途中何度も無様に転びながら駆け寄った。
 師匠は両腕を無くしていた。
「…負けて、しまいました」
 そう言って力なく微笑んだ。それはくいなの今際の笑顔にそっくりで、ゾロは心臓を何 本もの針で貫かれたような気がした。
「そ、んな」
 信じられなかった。師匠は幼いゾロにとって、世界一の剣士だったのだから。
「覚えて、おきなさい。たくさん、人を殺したひとは。いつか、同じように、殺される」
 口の端を伝う紅い物が、炎に鮮やかに映える。
「復讐を、するな、とは言いません。でも、怒りに呑まれた剣は」
「…自分に、返って、くる」
「そう。忘れないで」
 彼がいつもかけていた眼鏡はなくなっていた。艶やかな黒い髪はぱりぱりに乾いてい た。両腕はなく、敗北者の無様な姿を晒していたが…それでも師匠はゾロの師匠だっ た。
 ゾロの中の激しい感情は、次第に勢いをなくし、埋み火の如く静かになっていった。
「…私は、それを、忘れていた。だから、負けてしま、った」
 何処かで建物の崩れる音がする。
 それは村が崩壊していく音。
 ゾロの揺籃の日々が、崩壊していく音。
「ゾロ、その、刀を」
 傍らに、刀が一振り転がっていた。
 今まで一度も見たことのない刀だった。
 その鞘は黒く、刀身は紅く染まっていた。
 穢れをまとってなお美しい、魔性の刃であった。
「魔剣、三代…鬼徹。それを…」
 師匠はそこで口篭もった。
 それを――何と言うつもりだったのだろう。

 ――捨ててくれ。

 きっと、最初はそう言おうとしていたのだろう。
 けれど、師匠はこう言った。

「…貴方の、好きにしてください」

 ゾロに迷いはなかった。
 あの男――“鷹の目”をこの手で倒すためには、力が必要だ。
 たとえそれがどんな力でも。
   
 ゾロが三代鬼徹を手にしたのを見て、師匠は微笑したようだった。
 それがどんな意味を持つ微笑みだったか、今となっては知る由もない。

 けれど、雪走、和道一文字、三代鬼徹を抱えたゾロは、その笑顔に…泣いた。

「ゾロ。危機に陥ったとき、泣いては、いけないよ。力が、抜けていくから」
 いつも道場で彼を諭すときのように、師匠は穏やかに言葉を紡いだ。
「丹田に、力を込めて。息を、穏やかに。そして、いざ、というときが、来たら。全力で、己 を、解放しなさい」
「…は、い」
「相手より、一歩、多く、踏み出した者が、勝つ。けして、背を向けない者が、残る」
「はい」
「下を、見ては、いけない。常に、上だけを、見なさい」
「はいっ」
「最強、とは、全ての、破壊、では、ない。全てを、守る、力の、こと」
「はい、師匠!」
「…よい、返事、です」
 すう、と師匠は大きく息を吸った。
 炎が登っていく空を見上げる。
「さあ…もう、行きなさい」
「でもっ…」
 ゾロの頬を、新たな涙が伝い落ちた。
 泣くなと言われたばかりだったが、それは勝手に溢れ出て、すぐに乾いた。
「私は…もう、死にます」
 ゾロは俯いた。顔を上げていられなかった。
 師匠はずっと微笑んだままだったから。
「あなたは、生きている。死者の、国へ行く、には、まだ、早い」
「でも!!」
 唇を噛み締め、三振りの刀を砕かんばかりに握り締めた。
 分かっている。
 自分は行かなければならない。
 強くなるために。
 生きるために。
 そして復讐のために。
 けれど、全てを捨てて故郷を後にする決心をするには、ゾロはまだあまりに幼かった。
 それでも、選ぶのはゾロ自身だ。
 誰も、それを助けてはくれない。
 1分、10分、いや1時間だったかもしれない。
 ゾロは長い時間の果てにゆるゆると立ち上がった。
 師匠に深く深く礼をする。
「行きなさい、蒼き風よ」
 柔らかな声が、ゾロの顔を上げさせた。
 師匠は最早ゾロを見ていなかった。
 燃え盛る村を突き抜け、森を山を空を突き抜けて、遥か彼方を――ゾロがこれから歩 むことになるであろう道の先を見ていた。

 ゾロは無言で師匠に背を向け、その先を目指して最初の一歩を踏み出した。

 …その時、ゾロには、確かに聞こえたのだ。
 故郷の人々の温かな、父のように慕った師匠のの柔らかな、そして幼馴染の少女の 歌うような声が。

「星神様の風が、あなたの明日に吹くように」







「俺は、世界一の大剣豪として、“鷹の目”の前に立ってやる」
 ゾロは、おもむろに腰を上げ、テーブルの上に乱雑に置かれていた酒瓶を一つ適当に 引っ掴むと、そのままぐいぐいと飲み干した。
 くれはは黙ってその様子を見ていたが、酒瓶が空になったところでようやく溜息をつい た。
「…死んじまったのか、聖は」
 どっと疲れた様子で、くれははゾロの腰の3刀に目をやった。
「なるほど、そんなら分かる。…鬼徹が大人しいのは、あんたと契約を結んでないからな んだね」
 一瞬の沈黙の後、ゾロは唸るように問うていた。
「…どうやって結ぶ?」
「残念ながらあたしは知らない」
「知っていそうな奴は?」
「…」
 くれはは目を細め、かすかに笑った。
「強くなるために全てを捨てる覚悟。それがあんたにはあるのかい、え、若僧?」
 ゾロの瞳に強い光が宿った。
 くれはを射抜かんばかりににらみつける。

「俺は命も金もいらない。ただ、誇りさえあればいい」

 その視線を真正面から受け止めて、くれははなおも笑った。
「なら、あんたが一緒に旅してる、あの意地っ張りでちっぽけなガキに聞いてみな」
「サ……セイ…に?」
 くれははスッと立ち上がると、足早に部屋を横切り、本棚の裏にある隠し扉を開いた。
「あのガキは色んな事を知ってるよ。ただし酷く臆病だ。上手くやるんだね」
 それだけ言い残して、くれははピンクの白衣を翻して去って行った。
 ゾロはほんの少しだけ逡巡し、すぐに立ち上がった。



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