021:傷跡 -1-

みんな、傷を抱えて生きている。


 チョッパーはゾロを廊下の途中の一室に案内すると、逃げるようにして廊下の奥へと 消えていった。
 ゾロが案内された部屋は、窓こそないものの思いのほか広く、そして清潔であった。 さすがにここまであの魔女――くれはの(悪)趣味は行き届いておらず、魔導灯による 柔らかな光に照らされた室内はいたって質素で、落ち着いた雰囲気に満ちていた。
 左右の壁には、折畳式のベッドが備え付けられていた。ゾロは引き出し方がよく分 からなかったので、少し――ゾロにとっての少しである――力をいれて引っ張ると、そ れは耳障りな音を立てて開いた。
 他には何もない部屋だったので、ゾロはそこに腰を下ろし、そして腰の3本刀を見 やった。
 …くれはは、この黒鞘の一刀を知っているという。それがいかなる情報かゾロには想 像もつかなかったが、彼女の返答如何では、一刀の下に切り捨てるつもりであった。
 それは、この黒鞘の一刀、いやこの三振りの刀がゾロの過去に――ひいては今は 無き故郷の思い出に深く関わるものだからであった。だから、早く話を聞きたいと思う 反面、ゾロの心中は複雑な感情に引っ掻き回されていた。

「行きなさい、蒼き風よ」

「ゾロなら、きっと何処までも行けるよ」

 あの時身体に受けた傷は、もう跡形も無い。
 代わりに新しい傷が増えては消え、あるいは残っていく。
 それが哀しい時期もあった。
 だが、時が経つうちに、それに慣れてしまった。
 強さを、最強を求める事は、すなわち失う事なのだと気付いたのは、いつのことだっ たか。

「おーい、ゾロー」

 扉の向こうで聞きなれない――けれど耳に残る声がゾロを呼んだ。
「ゾロ、レディがお呼びだぜ」
 視線を扉に転じたゾロは、一瞬奇妙な物をそこに見た。
 半開きの扉、そこに立っているのはセイの姿をしたサンジのはずだった。
 けれども、ゾロは、そこにサンジの姿を見た。
 正確には、サンジの姿をしたサンジの姿を。


 それは、ゾロの知っているサンジより一回り痩せて透明な白い肌をしていた。




 
 ――陶磁の人形。





 
 けれど、一歩踏み出して室内の間接灯に照らされたその姿は、紛れもなくセイのも のだった。
 セイ…サンジはにいっと笑い、首を傾ける。
「一本道だ、迷うなよ」
「迷うか、馬鹿」
 目を細め、ゾロは立ち上がった。
 ――疲れているのか。
 それとも、昔を思い出していたからなのか。
 ゾロは軽く息を吐くと、手馴れた様子で折りたたみベッドを引き出すサンジを横目に、 扉の取っ手に手を掛けた。
「俺、先に寝てっから、心行くまでレディと素敵な時間を過ごしてくれたまえ」
 背中に掛けられた揶揄の言葉に、何か言い返してやろうと振り向いたゾロは、そこに もう一度不思議な物を見たように思った。
 閉じてゆく扉の向こう、こちらを見て微笑むサンジの姿は白く――微かに透明だっ た。







「…来たね」
 座れ、と無言で示されたのはソファーではなく、赤や黒や青で複雑な文様の描かれ た絨毯の上だった。
 既にくれはは絨毯に胡座をかいており、ゾロは目を眇めたものの無言でそれに従っ た。
 刀同士が触れ合って、乾いた音をたてる。
 くれははまったくゾロを見ていなかった。食い入るように、刀を――黒鞘の一刀を見 つめている。
 ゾロはその視線を遮るように、漆黒の鞘に手を添えた。
 沈黙が交差する。
 ゆるり、とくれはがゾロの翡翠色の眼を見た。
 
「…何を知っている?」
 
 前置きもなく言って、ゾロは再び沈黙した。
 ゾロは、自分に話術がないことはよく分かっていた。ただの言い合いなら、何も考え ずとも言葉が出てくる。しかし交渉や尋問といった「情報」のやり取りは苦手、というよ り下手糞だった。知りたい事があれば、回りくどい言い方などせず、はっきり問えば… そして答えればよいではないか――そう思っていたのである。
 けれど、それでは二進も三進も行かないときがある。そんな時の対処を、ゾロは数度 の失敗を経て、頭ではなく身体で覚えた。
 すなわち、黙するのである。
 聞かれた事には答える。それ以外は黙する。ゾロにとって一番簡単で、一番安全な 方策であった。
 どうしてもこちらから問わねばならないときは、問いの中心を省いた。
「この刀について何を知っている?」
 ではなく、
「何を知っている?」
 と。
 こうしておけば、後は相手が勝手に会話を進めてくれる。
 ゾロが望む方向に会話が進むかどうかは、また別の話だったが。

「昔、」

 くれははしわがれた声で話し始めた。
「昔、若くて有能で腕っ節の強い美人な女魔導科学者がいてねぇ」
「……」
 ゾロは黙っていた。
 少なくとも、まだ、どういう話しになるかは――分からない。







 女は、魔導科学のためなら、それこそ何処へでも出かけていった。
 ちょいと特別な“眼”を持っていて、その謎を解き明かしたいとも思っていたから、多 少の危険もなんのそのでね。
 色々なことがあったし、色々な奴と出合ったそうだ。
 其の中で、一際鮮やかな思い出の話さ。


 長くて黒い艶やかな髪、似合わない眼鏡、微笑みを絶やさない青年。
 …その男の本名は、今でも分からない。
 女や、同じパーティーの連中は、男をただ「聖」…ヒジリ、と呼んでいた。

 男は、二刀流でねぇ。

 真白な鞘の刀と、真黒な鞘の刀。
 それをいつも大事そうに手入れしていた。
 そんなときの男は、静かで、優しげで、春の日の午睡のような気配を漂わせていた そうだよ。

 ところが、男は、戦いになると変わった。

 真白な鞘も、真黒な鞘も、ただ赤一色に染めて男は戦うのさ。
 輝石製の刀が振るわれるたび、風までも赤に染まるようだった。
 ああ、何処かの若僧によく似た二つ名で呼ばれていたよ――赤嵐の鬼人、って。
 その二つ名は、あながち間違っちゃいなかった。
 女の眼には、男が舞うように人を斬っていく姿に重なって、何か真っ黒い巨大なモノ が――巨人のようなモノが、黒鞘の一刀から染み出ているように映った。
 それは、頭に数十本の角のはえた“鬼”のようなモノだったそうだよ。

 さて、女達は、好んで戦乱の地へ踏み込んだ。
 女の目的は、戦場においての魔導科学の有効性を実験することだった。
 一緒に旅してた奴らの目的はというと、金だったり、地位だったり、復讐だったりと、 てんでバラバラだった。けど、戦場ってやつは、それらを満たすのに――或いは叶える のに、最適の場所だからね。
 だからだろうね、女達は気が合って、随分長いこと一緒に旅をしたそうさ。
 
 そんな中で、男は、いつも微笑みながら戦場を翔けていた。
 人を斬る時。
 屍を踏み越える時。
 何もかも終わった後で、空を見上げる時。
 ずっと微笑んでいた。

 女はそれが不思議でね。
 ある時、何か楽しい事でもあるのか、って聞いたのさ。

 そしたら、男は――ヒジリは言った。

 楽しくはありません。
 ただ、あんまり哀しいから笑っているのですよ。
 
 そのときの女には意味が分からなかった。
 今なら、よく分かるんだろうがね。

 女はもう一つ聞いた。
 哀しいのに、どうして人を斬る、ってね。

 ヒジリは微笑んでこう言った。

 契約のためです。
 この黒い鞘の刀には、“鬼”が棲んでいますので。
 大人しくしていてもらう代わりに、血を…ね。 
 血を吸わせるという契約を結んでいるのです。
 代わりに、振るう者に鬼の力を与える。そういう契約です。

 ヒジリはそう言って、まだ息のあった兵士をその刀で貫いた。
 微笑みながら。

 女は、またあの黒い巨大な影を視たそうだよ。

 どこで手に入れたのか、と訊くと、さてね、と応えた。
 父が死ぬ時にこれをくれた、そして自分がその契約を引き継いだ。そういう話だっ た。

 契約を破棄して、刀を捨てればいいだろうに。
 女の当然の疑問を受けて、ヒジリはますます笑みを深くした。

 そうして誰かに悪用されたりしたら。ましてや“鬼”が解き放たれたら。
 …契約を結んでいる私には分かる。これは邪悪なもの、この世ならざる邪悪。
 自由にしてやるわけには、行かないのです。

 自由を奪われていたのは果たして刀の方だったか。
 ただ、男は不幸そうではなかったから、女はそれ以上何も言わなかった。

 そうして、数年が過ぎて、女達のパーティーは解散した。
 というか、消滅した。
 其の日、女は1人で別行動をとっていたから、夜営に戻ってきてそれは驚いたそうだ よ。

 ヒジリが斬っちまったんだ、と一目で分かった。
 満月の晩だった。
 仲間の屍…物凄い速さで正確に切られた傷からは、血が流れ出していなかった。
 それを見て微笑むヒジリ。
 その背後に立つあの真黒な影――!
 それは、まごうことなく邪悪の化身だった。
 …今まで押さえていたものが、何かの拍子に無くなっちまったのかもしれない。
 女は現場にいなかったから、理由は死ぬまで分からないが。
 とにかくヒジリが斬っちまったんだ。

 ヒジリは真っ赤に染まっていて、黒鞘の刀は奇妙な音を立てていた。
 あれは、歌だったのかもしれない。

 歓喜の。
 ――ああ、
   また、
   今度こそと、
   ごめんなさい、
   さよなら。

 切れ切れにそんなことを呟きながら、ヒジリは女を見た。
 女もヒジリを見た。

 真紅の涙。

 ヒジリは身を翻すと、消えてしまった。
 白鞘の刀――和道一文字と、黒鞘の刀――三代鬼徹と共に。






 ゾロは黒鞘の一刀――三代鬼徹を抜刀した。
 風すら巻き起こらぬ完璧な抜刀だった。
 瞬きより早く、刀身はくれはの頚動脈の真上に押し当てられていた。
「事実か」
「事実だよ」
 その一言を口にしただけで、喉は薄く切れた。
 それに構わず、くれはは言葉を次いだ。
「その後、風の便りに聞いた。ヒジリは刀を…鬼徹を捨て、故郷に帰ったと」
 だが、と呟く頃には、流れ出した血が一筋くれはの喉を伝い落ちていた。
「それは、その刀は忘れようもない。三代鬼徹。それが何故、ここにある?」
 ゾロは刀を構えたまま、今にも泣き出しそうな、それでいて怒り出しそうな顔で囁くよ うに言った。

「――師匠……くいな…」


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