008:月光


そうしてまた夜が来る。


 早々に酔いつぶれたウソップを寝台に放り込み、ゾロは音もなく外へ滑りでた。
 祭りの後特有の、静けさが耳につく空気の中を抜け、その気配を探す。

 あれだけたくさんいた村人達も、さすがに家に帰ったらしい。
 村は月光に照らされて、蒼く浮かび上がっていた。
 ゾロは通りを静かに歩き続けた。

 演奏がどうなったのか、実はゾロははっきり覚えていない。

 無我夢中で弓をひいた。
 幼馴染の少女の閃く指先を思い出しながら。
 腰に下げたままの刀が――白木の鞘に納められた一刀が熱かったのは気のせいだ ろうか。
 ただ、ナミのトェラドニの音も、ウソップの鳴らす鈴の音も、ルフィが弾くシディレの音 も、そしてサンジが奏でるフィオートの音も、すべてが自分のシジマに合わせて歌って いた事だけは覚えている。
 
 最高に気分が良かった。


 長い間、他者との接触がほとんどなかったゾロにとって、それは久しぶりに感じる他 者との一体感だった。
 誰が出過ぎることもない、調和の取れた一つの流れ。
 自分達の奏でる音楽以外は、何も聞こえない。


 蒼になる。


 気付けば割れんばかりの拍手に包まれていた。
 ウソップとルフィに飛びつかれ、滅茶苦茶に誉められていた。
 あのナミでさえ、かなり不服そうな表情ではあったが、ゾロの肩を軽く叩いて「上出来 じゃない」と言った。
 相変わらず不思議な微笑をたたえたままのサンジには、ゾロにだけ聞こえるように囁 かれた。
「やりゃぁ出来るじゃねぇか」
 その言葉を聞いて、ゾロは、自分がやり遂げた事を知った。

 命を切って切って切りまくってきたこの手で、自分は他者に喜びを与える事ができたの だ。

 そう理解した瞬間の、言い様のない感情。

 泣きそうなぐらい嬉しかった。
 例え試されていたのだとしても、構わなかった。
 今すぐ叫び出したいと思った。
 けれど、こみあげてくる笑いには勝てず、ゾロはルフィとウソップと肩を組んで爆笑し たのだった。
 ナミはそっぽを向いていたが、ゾロには確かに笑っているように見えた。 
 サンジと目があった瞬間、声が聞こえた。

「音楽って、いいだろう?」

 「いい」というたった一言の中に、どれだけの思いが詰まっている事か。
 ――どうしてコイツの言う事はいちいち奥が深いんだ。
 海色の右目が笑う。
 気付けば4人で肩を組んで笑っていた。


 今日の事は一生忘れずにいようと決めた。


 忘れたくないと、思った。





 幾つかの曲を演奏した後、村人達に盛大なもてなしを受けた。
 ウソップが大喜びでホラ話をしまくっているうちに、サンジがそっと人込みを離れていく のをゾロは確かに見た。
 追いかけようと思ったが、次々に差し出される酒や料理から上手く逃れられず、挙句 の果てに酔っ払ったウソップを宿まで送り届ける羽目になったのだ。
 気付けばルフィとナミも姿を消していた。
 眠ろうにも、神経がすっかり興奮してしまい、横になる事すらできない。
 戻ってきていないところをみると、3人で何か話しでもしているのだろうか。そう思っ て、ゾロは宿を抜け出したのだった。
 
 立ち止まり、気配を探る。
 ゾロは村の中央広場に足を向けた。
 今は誰もいないはずの、舞台。そこから人の気配が微かに感じられた。
 近付くにつれ、気配は2つの人影を形作った。
 それは、楽団の衣装のままのルフィとナミだった。こちらに背を向けて舞台に腰掛け、 空にかかる月を見上げながら何事か話している。
 何となく邪魔できないような雰囲気を感じたが、何を話しているのか気になったゾロ は、建物の陰に隠れて耳をそばだてた。



「あー…月が美味そう…」
「…食べる事以外言うことないの?」
「んー、じゃあ、今日は面白かった!」
「……」
「ナミも面白かったろ?」
「…ちょっとは、ね」
「な、おれが言った通りだっただろ」
「…それが腹立つのよね」
「ゾロはイイヤツだぞ。おれは好きだ」
「…そう」
「ナミもけっこう気に入ってるだろー」
「そんなことないわよ!!!」
「え〜っ? おれ知ってんだぞ。ナミ、気にいったヤツのことは誉めるんだ」
「へ!?」
「ゾロの肩叩いて言ってたじゃんか。『上出来』って」
「あ、あれは…あいつが意外にマトモな演奏したから…」
「それに、サンジがいつも言ってるぞ。『きれいな音楽を生み出せるヤツは、心がきれい なんだ』って。ナミも頷いてたよな」
「それは、そう、だけど…」
「心配いらねぇよ。ゾロはイイヤツだからな! あんな音出せるんだ、間違いないって」
「…はぁ。ま、悪いヤツじゃないだろうけど」
「だろ?」
「……そうね」



 ゾロは顔が熱くなるのを感じた。
 長らく忘れていた感情がよみがえる。
 ――照れ、てるのか俺は。
 他人に誉められたことはこれまで幾度もあった。なんだか偉そうなジジイに、高い所 に立たされて、随分長い間誉められつづけた事がある。酒場で飲んでいたとき、ねめつ けるような目の男に、しきりに誉められた事がある。けれども、どの時も、「照れる」など ということは一切なかった。
 なのに、今、ゾロは照れていた。
 がりがりと頭をかきながら、そっとその場を離れる。
 今、あの2人に話し掛ける事はできない。
 顔も合わせづらい。
 こっそりと横合いの路地に入ったゾロは、ルフィが振り返って満面の笑みを浮かべた 事に気がつかなかった。


 路地を抜けて、村の北側に出る。
 自然の丘陵に従って、高台になっているそこには、小さな教会が建てられていた。
 教会らしい三角屋根の上に、正方形の中に円という紋章が掲げられているところを見 ると、星神フォルテューナの教会らしい。正方形は、地・水・火・風の4属性の均衡を表 し、円はこの星の姿と、終わりなき命の営みを示しているという。こんな田舎の村でも、 星への感謝は忘れていないという事の現れであった。
 微かな気配を感じて見上げると、その屋根の上に、月光に輝く金髪が見えた。
 目を凝らせば、こちらも楽団衣装のままのサンジが1人で屋根に座っているのがはっ きりと分かった。
 何処から登ったのかと見回すが、教会の周りには高い樹も建物もない。
 それを確認すると、ゾロは無造作に地面を蹴った。
 ふわり。
 重力を足蹴にして宙に舞う。
 一度目で民家の屋根を。
 二度目で樹の梢を。
 三度目でサンジの後ろへ。

「よう、迷子か?」
 月を見上げたまま、サンジは振り返りもしない。
 夜風に衣装の袖と、金の髪がさらさらと揺れる。

「お前を探してた」

 低い声で告げると、サンジは振り返った。
 余程驚いたのか、目を丸くし、口を半開きにしている。
 しかしそれは一瞬の事で、すぐにニヒルな笑みが取って代わる。
「何の用だ」
「今日の事で」
 ――話がある。
 そう言おうとして、ゾロは言葉に詰まった。
 自分はサンジと何を話すつもりだったのだろうか。
 演奏した時に感じた高揚感を、喜びを、自分はどうサンジに伝えようとしていたのか。

 言葉ではうまく言い表せない、それどころか色褪せてしまうものを。

 押し黙ってしまったゾロに、サンジは「まぁ、座れ」と自分の隣を指差した。
 ゾロは無言のまま、そこに腰を下ろす。
「…で、何だ」
 サンジは月を見上げている。
 蒼い月光に照らされて、その白い肌は淡い輝きを放っているようにも見えた。
 左眼を覆う金の髪が、風に舞い上げられる。
 白く細い手が、それをそっと抑えた。
 そのままゾロに向き直る。
「言いたいことがあるんじゃねぇのか」
 促され、ゾロは強張った口をどうにか開いた。


「今日は…その、」

 とても、楽しかった。



 何とかそれだけを口にする。
 サンジはひっそりと笑った。

 何もかもちゃんと伝わっているよ。
 その笑顔はそう告げていた。
  
「あれが俺たちの《仕事》だ」
 ――そして、一つの誇りでもある。
 サンジはそう言ってまた笑った。
「スゲェだろ?」

「ああ」

 ――本当に、凄いな。




 二人並んで月を見上げる。
 蒼い光が降り注ぐ。






 静かな静かな月の夜。




 
 
「ゾロ」
「あ?」
「テメェにやるよ」
 何を、そう問おうとするとサンジは左手を差し出した。
「左手、出せ」
 ゾロが言われるままに差し出すと、サンジはそっと手を重ねた。
 同じ人間の手とは思えぬほど、2人の手は違っていた。
 けれど、その温もりは紛れもなく同じ人間のものだった。


 ゾロは不思議と落ち着いていた。
 これから始まる事を、知っている。
 そんな気がした。


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