005:守人(もりびと) −1−
夜が明けて、朝が来て。誰にも断りなく、その波乱に満ちた1日目は幕を開けた。
「というわけで、今日から麦わら一味の一員になる《紅風の魔獣》こと――」
「…ロロノア・ゾロだ」
ぶっふー!!!
ウソップが勢いよく噴き出した水は、朝日を受けて見事な虹を作り出した。
「お、おま、おま、おま、本気か!? いいのかよ、ルフィ!」
朝食を貪り食っていたルフィは、「いーのいーの」と適当な返事をした。
「だってアイツは俺たちを襲ったんだぜ、それも昨日!」
「サンジが決めたんだからいーのいーの」
がっくりと肩を落とし、ウソップは無言でゾロと距離をとった。
「…どういうつもり?」
適度に距離をとって朝食の固形食料を齧っていたナミは、ゾロに向かってキツイ視線 を投げかけた。
「…一緒に行っちゃぁ悪いかよ」
「べぇぇっつにぃ? ただ、どういう風の吹き回しかと思っただけよ。あの凶悪な魔獣に、 一体どういう心境の変化があったのかしらねぇ?」
ゾロはしかめ面で睨み返した。
言い返そうと口を開くと、それを遮るものがあった。
朝風に光る金の髪。
「俺が誘ったんです、ナミさん」
サンジはうやうやしくひざまずき、ナミのカップに紅茶を注いだ。
ボクの心はもちろん永遠に美しき太陽の女神ナミさんのものですしかし一度拾ってし まったものをおいそれと捨てるわけには行きませんそんなテキトーな男は最悪ですどう かしばらくの間この男ロロノア・ゾロが同行する事をお許しくださいエサも散歩も躾もき ちんとやりますから、そう一息に言い切ってサンジはナミを見上げた。
「…言い出したら聞かないんだから」
紅茶を一口すすり、ふぅ、と息をつく。言葉とは裏腹に、その表情には微かな笑みが 浮かんでいた。
しかしそれは一瞬の事で。
「ついて来たいならついて来たら? ついて来れるものならね」
ゾロに向けられた視線には、厳しさと冷たさが入り混じっていた。
「…ふん」
鼻を鳴らして睨み返したゾロの脇腹を、サンジの本気蹴りが襲った。
ゾロは咄嗟に後退してかわし、怒鳴った。
「何しやがる!」
「テメェこそ何だその態度は、ナミさんに失礼だろうが!」
「こんなムカツク女に頭下げるなんざ死んでも御免だ!」
「んだとこの腹巻剣士!」
「誰が腹巻剣士だこの不思議眉毛!」
「うるせぇ、この…毬藻頭!」
「まっ、毬藻だぁ!? この野郎、やっぱりたたっ切る!」
「やれるもんならやってみやがれ病み上がりがぁ!」
「昨日は不覚をとったが今日はそうはいかねぇ!」
「誰がテメェを治療してやったと思ってんだクソ野郎!」
「誰も頼んでねぇだろっ!」
「拾われたくせにごちゃごちゃ抜かしてんじゃねぇぞ! オラァ!!!」
途端に乱闘が始まった。
お互い一切手加減は無い。
それどころか、普段以上の動きでサンジは蹴りを放った。
ゾロはゾロで、3本の刀を羽の如く軽々と振りぬく。
それを見て慌てたのはウソップだった。
「お、おい、止めねぇと!」
どうしたらいいものかとオロオロしながら2人を見比べる。
「……」
ナミは手にしていたカップをウソップに持たせると、ツカツカと乱闘中の2人に歩み寄っ た。
「いい加減にしろ!!!」
ガン! という音が響いた。
ナミが素手で二人の頭をぶん殴ったのだ。
「こ…の馬鹿力…!」
「これがナミすぁんの愛のムチ! …痛い」
2人して頭をさすりながらうずくまる。
戻ってきたナミに、震えながらカップを返すと、ウソップは高速で後退した。
「こ、怖ぇえ…」
紅茶を一口飲み干して、ナミはルフィに向き直った。
「ちょっと、ルフィも何か言ってやってよ。仮にもリーダーでしょ?」
すると、ようやく腹一杯になったと見えるリーダーは、大分膨張したお腹を抱えてこう 言った。
「おう、それじゃ、お前も今日から仲間だなー!」
「話聞いてなかったのかよ!!!」
朝の森に、綺麗なツッコミが響いた。
空は青く、風は緑。
整備されているとは言いがたい山道を、5人は西へと歩いていた。
大量の獣の皮を引きずりながらも、いつも通り、先頭を歩くのはルフィである。
その少し後ろで肩を並べて歩いているのが、サンジとゾロだった。
最後尾を歩くのはナミ、そして全員分に近い荷物を背負ったウソップだ。
「…で、どうするんだ?」
野営地を出発して1時間、ようやくゾロが口を開いた。
ゾロはボロボロになっていたシャツを捨て、サンジの服を着ていた。ナミはともかく、ル フィは一着しか服を持っていないし、ウソップは頑として着替えを貸し出すのを断ったの で。
…もっとも、細い体のサンジの服を、筋骨隆々のゾロがそのまま着られるわけはな く、前は全開、袖は切って何とかといった有り様だった。そのせいで、腹に巻いた緑の 腹巻きが浮いて浮いて仕方がない。
「どうするって?」
「何処を目指してたんだ?」
「あー…そうだな…」
サンジは首をかしげた。
ゾロが顔をしかめる。
「おい、目的地もないのか?」
「そういうテメェはどうなんだよ。どうしてこんな山の中を1人でほっつき歩いてたん だ?」
「あー…それはだな…」
ゾロは首をかしげた。
サンジが顔をしかめる。
「何だよ、目的地ぐらいあっただろ?」
「それが…」
最初は、エレジァに行くつもりだったんだが。ゾロがそう言った途端、前を行くウソップ が盛大にずっこけた。
「エレジァ〜!? 完璧逆方向じゃねぇか!」
「…ずっと東を目指してたつもりだったんだよ」
ウソップは恐る恐る尋ねた。
「あの、ロロノアさん、東ってどっちだか分かってますか?」
「当たり前だ!」
ゾロは自信たっぷりに言いきった。
「箸を持つ方だろう」
「ド阿呆!!!!!!」
サンジとウソップは同時に叫んだ。
「ほ、本物だわ…本物の馬鹿がここにいるわ…!!!」
ナミは笑いを通り越して呆れ返り、何か異様なものでも見るような目でゾロを見た。
「ん? なんでだ? 東って右だろ?」
違ったっけ、そう屈託なく言ったルフィに、ナミの鉄拳が炸裂する。
「あれだけ教えたのに覚えてないのかっ!!!」
「あれ、おっかしいなぁ」
「おかしいのはアンタの頭の中身でしょ!」
脱力して杖にすがるナミ。
サンジは勇気を出してゾロに問いかけた。
「ここにいるってことは、エレジァに行くのはやめたんだよな。…次は、何処に行くつもり だったんだ?」
大分憮然とした表情を浮かべていたゾロだったが、それでもきちんと答えた。
「…ラプセディオ」
「そりゃ北の国だろ!!!」
お前スゲェよ、ある意味天才だよ!!! そう叫ぶと、ウソップはとうとう腹をかかえて笑い 出した。
分かっているのかいないのか、ルフィも笑い出す。
「あのなぁ、こっちは西。大陸の西だぞ? お前、北ってどっちだか分かってるか?」
呆れ顔でサンジが尋ねると、ゾロはやはりかなり自信を持って答えた。
「寒い方が北だろ」
ぎゃああ死ぬ、笑い死ぬ!!! ウソップは地面をのた打ち回った。
「何言ってんだゾロ、寒いのは南…」
ガツン! とナミがルフィを殴り飛ばした。
「そういうことじゃないの!!!」
よろよろと道端の樹に手をつき、引き攣った笑みを浮かべるナミ。
「スゴイわ…ここまで天然なのはルフィ以来2人目よ…」
「ぉ…ぉぉ…腹筋がつった…」
ウソップはとうとう腹筋を抑えてうめき出した。
ゾロはすっかり渋い顔になってしまったが、それでもサンジは尋ねた。
「エレジァにしろラプセディオにしろ、到達したこと…ないだろ?」
「ああ、いくつかデカイ都市は通った気がするが、そんな名前じゃぁなかったな」
「まさか、ひょっとして…信じたくはないが…その、あれだ。テメェさ、」
サンジは一度言葉をきった。数秒間ためらい、意を決して深く息を吸う。
そして恐々と言った。
「… ま い ご ?」
「ごぶひょぁああ!!!」
「わはは、ウソップ蟹みてぇだなー」
笑いすぎて空気が足りなくなったらしいウソップは、白目を剥いて泡を吹いた。
「しっ…信じらんない! 迷子!? アンタ迷子なの!? 迷ってこんな山奥来ちゃったの!?」
「…か…可哀相なヤツだな…」
「うるせぇな!!!」
そう反論したものの、本人にも少しは思い当たるふしがあったようで、今ひとつ覇気が ない。腕を組んであさっての方向を見上げ、やけくそ気味に言った。
「迷って悪いか!!!」(ドーン)
「い、いや〜…悪いっていうか…そういう問題じゃねぇだろ…」
あはは、あははは、と乾いた笑い声を上げながらサンジは両手を上げた。
「あああ…あんたホントに賞金稼ぎ?」
「別に自分から賞金稼ぎになったわけじゃねぇ。人が急いでんのに、いきなり切りか かってきたヤツラを返り討ちにしてたら、いつの間にか賞金稼ぎって言われてただけ だ」
「…あんたを警戒してた私がバカだったわ……」
頭を抱え、ナミはがっくりと膝をついた。
その隣ではウソップが泡を吹き、ルフィは「蟹だ、カニ!」と叫びながら横ばいに動き 回っている。
サンジも目眩を覚えてしゃがんでしまった。
1人堂々と立っている長身の男――ロロノア・ゾロ。《紅風の魔獣》と呼ばれ、世間で 恐れられている賞金稼ぎ。しかしてその実体はただの迷子剣士――は、自分が撃沈し た4人を見下ろし、フンと鼻を鳴らした。
「…で、どうするんだ?」
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