「ゆびきり」 居月ナオ様 お地球見の丘で。:http://coco.or.tv/ |
ここは日本の一地方。 美しい海に面した小さな都市。 そこで、俺たちは暮らしている。 呼び鈴を鳴らすか鳴らすまいか、逡巡すること10分。 俺はルフィの家の門の前で、挙動不審に行ったり来たりしていた。 伝統的日本家屋であるルフィの家は、外周を白い塀に囲まれているため、中を覗くこ とは出来ない。逆に言えば、中から外でうろうろしている俺の姿も見えないということ だ。誰か――この際ウソップでいいから、買出しに飛び出してきてはくれないだろう か。そうすれば、今やって来た風を装って、自然に中に入れそうな気がする。 けれどもそんな偶然が都合よく起こるはずがない。 だから俺は10分もうろうろし続けているのだった。 それもこれも、サンジとの喧嘩のせいだ。 数日前、サンジと喧嘩をした。 原因は…今回は、俺の方にある。 もともと、俺たちはいつもとても他愛もないことで喧嘩する。傍目には警察に通報する かどうか迷うほど激しい喧嘩らしいが、これが一種のコミュニケーションなのだから始 末が悪い。 あの日もいつものように喧嘩して、言いたいことを言い合って、その後は一緒に飲み に行くつもりだった。 けれど、あの日は。 「行けよ!」 「行かねぇっつってんだろ!」 「俺に遠慮してんじゃねぇだろうな!?」 「そうじゃねぇ、違うんだよ!」 「チャンスなんだろうが! 行けよ!」 「行かねぇってもう決めたんだよ! ごちゃごちゃ抜かすな!」 サンジにフランス留学の話が持ち上がったのは、4月の末の事だった。 ゼフの知り合いの何とかというフランス料理人からの話だという。 そのフランス人は数十年ぶりに日本に来て、旧友であるゼフの元を訪れ、その際サ ンジの作った料理を食い…そして。 「フランスに来て、私の元で修行しないか」 サンジは悩んだようだ。 サンジの夢は料理人になること…人を感動させることの出来る料理人になることだ。 アイツの生活の全てはそのためにあるといっても過言ではない。だから、これはアイ ツにとって大きな、とても大きなチャンスのはずだった。 もちろん、フランスに行くということは、この街を遠く離れるということだ。大学も辞めな ければならないし…俺とも当分会えなくなる。親しい人たちと離れ、言葉も分からぬ遠い異国の地で独 り修行の日々に見を投じることになる。 けれども、それは夢のためには小さなことのはずだ。 目の前の大きなチャンスに比べれば、何てことないちっぽけな壁にすぎないはずだ。 なのにサンジは… 「行かない事にした」 静かに笑ってそう言った。 そこからは喧嘩だ。 理由を聞いても「行かないって決めた」の一点張りで、俺には何も言ってくれない。 それにまた腹が立って、喧嘩はさらに大きくなった。 もめた。 とにかくもめた。 舌戦は格闘になり乱闘になって、サンジが涙を浮かべて走り去って。 俺たちは結局その後一度も会っていない。 俺は、サンジから留学の話を聞かされたとき、サンジはフランスに行くべきだと思った。 それは、サンジにしばらくの間でも会えなくなるのは寂しい。嫌だ。何処にも行かな いで欲しい、いつもそばにいて欲しいと思う。 だが、アイツが夢を叶えた所も見たい。誰もを感動させることの出来る料理人になっ たアイツの店で、飯を食いたい。何より、それで喜ぶサンジの顔が見たい。そのためな ら、サンジに会えないのが何だ。触れられないのがどうした。今は電話もインターネット もあるのだから、まったく会えないってわけじゃない。俺はサンジを笑って送り出すべき なのだ、そう思った。 だからサンジに相談を持ちかけられたとき、俺は「行け」と言ったのだ。 けれどサンジは行かないという。 勿論、アイツは俺以上に悩んだのだろう。その末の決断だったはずだ。だから、俺 はその決断に賛同するべきだった。けれども、俺は腹が立ってしまった から…まるでサンジが夢を諦めてしまったように思えたから、カッとなってしまって。 俺が身勝手だったのだ。 サンジの夢はサンジのものなのに。 それを、俺は、余計な言葉で壊してしまった。 謝りたいと思うけれど、サンジに避けられているようで、会うことが出来ない。 今日は、ルフィには悪いが、チャンスだった。なのに、いざ会おうと思うと…どうにも踏 ん切りがつかない。 ちらりと時計を見る。 ああ、もう20分も経ってしまった。 …やはり今日は帰ろう。 ルフィには明日謝ろう。 サンジにも、明日…きっと、謝ろう。 そう思い、門に背を向けたときだった。 「おいクソ毬藻、ちょっと付き合え」 後ろからごく自然に左手をとられ、引っ張られるままに歩き出す。 街灯に照らされて光る金の髪が、無言で俺を誘っていた。 ルフィの家から海岸まではすぐだ。 サンジは紫煙を吐き出して、砂浜を指した。 2人とも無言でそこに座る。 「…」 「…」 海鳴りだけが響く、誰もいない初夏の海岸。 空には、満天の星空。 二人の間に出来た溝を、静かに埋めてゆく。 俺が手を出すと、サンジは無言で煙草とジッポーをそこに乗せた。 俺も無言で受け取り、「希望」という名を持つそれを一本抜き出すと火をつける。 サンジの匂いだった。 こうして2人並んで煙草を吸うのは久しぶりだ。何も考えず、煙草の煙の行く末を見つめていると、逆に神経が研ぎ澄まされていくような感覚に陥る。 …今なら。 そう、今なら。 「…悪かった」 「…え」 俺が謝ると、サンジはかなり驚いたようだった。 煙草をぽろりと落としかけ、慌てて拾い上げる。 「何が…」 手を引かれるままに歩いている間に何となく分かった。 多分サンジは俺が門の前でうろうろしていることに、とっくの昔に気付いていたのだろう。 だが、声はかけてこなかった。 サンジも、迷っていたのだろう。 なのに、俺は帰ろうとした。 否、逃げ出そうとしたのだ。 この数日間サンジと会えなかったのは、サンジが避けていたからという理由だけではない。…俺のほうで、逃げていたのだ。 それもこれも、やっぱり、俺が悪いと思った。 だから、謝った。そういうことだ。 「色々、だ。色々全部、悪かった」 座ったまま頭を下げると、サンジは煙草を最後に一口吸い、携帯灰皿の中に――そ れは俺が昔サンジに贈った、鮮やかな空色のものだった――しまい込んだ。 「…は、ようやく謝る気になったか」 手間がかかる毬藻だな、まったく。そう言ってサンジは笑った。笑いながら、水平線 の彼方に目をやる。 そしてポツリと呟いた。 「…ごめんな」 「あ?」 今度は俺が驚く番だった。 サンジは水平線を見つめて、いつかのように静かに笑った。 「…俺がフランスに行かない事に決めた理由、言わなかった」 「…ああ」 「どれだけゾロが俺のこと想ってくれてるか知ってて、言わなかった」 「……ああ」 「…だから、ごめん」 少し、サンジに近寄る。 肌と肌が触れ合うくらいに。 「でもな」 「いいんだ」 俺はサンジの台詞を遮った。 「もう、いいんだ」 もう、理由なんてどうだっていいんだ。そう言ってやると、サンジは苦笑した。 「そうか」 「ああ。だからもう謝るな」 「分かった。テメェもな」 「そうする」 ――本当は、聞きたい。 どうしてサンジがフランス行きを蹴ったのか、その理由を。 「やっぱり教えてくれ」という言葉が喉まで出かかったが、深呼吸してやり過ごした。 それはとても大切なことであると同時に…どうでもいいことだからだ。 サンジが散々悩んで決めた事なのだから、俺はそれを信頼すれば良いだけの話な のだ。それを、あれこれ自分の意見を主張しすぎたりして、俺は何てバカだったのだろ う。 その結果、何があろうとも、それはサンジが選んだ道で……そこからどうするかを選 ぶのもまたサンジなのだ。…決して俺ではない。 それが、人生というものだ。 「…折角だから、1つだけ教えといてやるよ」 サンジは立ち上がり、波打ち際に歩み寄った。 引いては寄せる波、そのギリギリの際に立ち、振り返る。 「俺は、楽は、しない」 それはサンジの人生全てをかけた一言だったのかもしれない。 楽は、しない。 つまり。 …転がり込んできたチャンスなど、いらない。 チャンスは自分で掴みに行く。作り出す。 そう、サンジは言っているのだ。 それがどんなに大変なことかよく分かっていて、サンジは言った。 ならば俺はそれを受け入れる。 見つめ続ける。 決して助けはしない。手を差し伸べたりはしない。 ただ、隣に立って、そんなサンジを見つめていこう。 サンジも、俺にそうするだろう。 それが、俺たちの生き方なのだから。 「そう、決めたんだ」 「…分かった。テメェが楽しそうになったら、ぶん殴って教えてやる」 「ははっ、そりゃありがてぇな」 「だから、その代わり、だ。俺が楽しそうになってたら…」 「ああ、蹴り飛ばしてやっから安心しろ」 サンジは心底嬉しそうに笑った。 数日ぶりの笑顔がどんなに嬉しかったことか。 俺は立ち上がり、砂を払い、大きく伸びをした。 サンジは笑っている。 その笑顔がどんどん近寄ってきたなと思ったら。 「好きだぜ」 柔らかな、口付け。 海鳴りと満天の星空と誰もいない砂浜、そして一筋の流れ星。 「あ、今、見たか?」 「ああ、見えた」 サンジは笑っている。 俺も、笑顔だ。 流れ星には願わない。 代わりに誓う。 自分の未来を。 愛する人の未来を。 必ず、素晴らしいものにすると。 この温もりを、決して離さない、と――― |