019:玉石 -2-









「入りな」
 どう見ても100歳は越えていそうな、なのに20歳の鍛え上げた女性の体つきな老婆 に促され、ゾロはその鉄錆びて所々穴の空いた扉を押し開いた。
 ――シャンデリアの放つ虹色の光が、白陽石をきらきらと照らしていた。
 これ以上ないほどボロボロの扉と、そして建物の外見からは想像もつかぬほど、内 部は清潔にして煌びやかであった。
 床に敷かれた複雑な文様入りの分厚い絨毯、壁一面を占める巨大な本棚。唯一南 側に開いた小さな窓の下には、壁一面を埋める横長の机が置かれている。置かれた 器具は、魔導科学の実験に使用するものだろう。今も内部で薄青い液体を煮立たせ ているガラスの器、白い皿に幾つもの細かな魔導文様が描かれた上に黄土色の粉末 を乗せたものなど、怪しげな器具がそこかしこに置かれている。
 視線を転じれば、そんな実験場めいた風景とは全くそぐわない、黒光りする革張りの ソファに黒檀のテーブルが置かれていた。テーブルの上には、山と積まれた高級ワイ ンのボトルにつまみと思しき数種のチーズがある。
 …魔女の館。
 そんな言葉が似合う家であった。
 ゾロとサンジは、突如現れた老婆に招かれて、都市の上層部の奥深くにある老婆の家へやって来ていた。ゾロは気配の読めない老婆に警戒していたが、サンジが先に立って着いていくものだから、やむを得ず後について行くしかなかったのだった。
「…そこの若いの、そっちの長髪の」
 部屋の中を物珍しげに見回していたサンジは、引き攣った笑みを浮かべて振り返っ た。
「なんでしょう、ええと、あー…」
 思案の末に搾り出した言葉は、さすがサンジと言ったところだった。
「レディ?」
「悪かないね。アンタ、茶をいれな」
「ハァ!?」
「茶葉はあっち」老婆は実験道具の積まれた机を指差した。「水はチョッパーが作る よ」
「作る!?」
 サンジが目を点にしているのにも構わず、老婆は1人掛けのソファにどっかりと座ると 目を細めた。顔に深く刻まれた皺やかぎ鼻は、まるで絵本の魔女のような雰囲気をか もし出している。
「早くしな!」
「り、了解」
 鋭い叱咤の声に気圧されて、サンジとチョッパーはいそいそと実験テーブルへ向 かった。
 呆気にとられていたゾロは、自分に向けられた老婆の視線に我に帰った。
「何呆けてんだい、え? さっさと掛けな、《紅風の魔獣》」
 実験台に向かっていたチョッパーが、ものすごい勢いでサンジにしがみ付いた。
「く、く、《紅風の魔獣》ぅぅぅ!?」
「…そんな名前で呼ばれることもある」
 ゾロは老婆の真向かい、3人掛けのソファのど真ん中に静かに腰を下ろした。
 二人の間に、ただならぬ気配が漂い始める。
「で、魔獣がこの国に何の用だい。まさか観光目当てじゃああるまいね」
「偶然通りかかっただけだ。他意はねぇ」
「へぇ、そうかい。しかし《紅風の魔獣》は一人旅だって聞いたが、あっちの優男は何な んだい」
「…今は、仲間だ」
 茶葉をティースプーンで測っていたサンジが、クスリと笑った。
 老婆はそのすらりとした足を組み、目を細めた。
「今は、ねぇ。中々いい関係のようだ」
「何が言いたい」
「感想を述べただけさ、意味を求められても困る」
「それならこっちから質問だ。…てめぇ、何者だ」
 老婆はぐうっと身を起こし、ゾロに顔を近づけた。
 剣呑な光をたたえたゾロの目に怯むことなく、老婆はニヤリと笑う。

「魔導科学者、くれは。こう見えて、賞金首さ」

「ドクトリーヌ!」
 チョッパーがすっ飛んできて、ゾロとくれはの間に割り込んだ。鼻息も荒くゾロを見上 げ、拳を握り締めて身構える。
「お、お、お前! ドクトリーヌに何かしようなんて思うなよ!」
「ああ、別に思わねぇ」
「このオレが相手になるぞ!」
「だから、何もしないって…」
「お、オレだってただじゃ食われな…え? 何もしない?」
「こらチョッパー!」
 くれははチョッパーの首根っこを引っ掴むと、ひょいと摘み上げた。
「早く水作りな、茶が煎れられないだろ!」
 そのままサンジ目掛けて放り投げる。
「うひぁい!」
 飛んで行ったチョッパーはオドオドとゾロとくれはを見比べていたが、サンジに軽く角 をつつかれて椅子を取りに行った。
 ゾロは1つ溜息をつき、くれはに向き直った。
「…あんた、あのトナカイと一体どういう関係だ?」
「師弟、ってぇ所だね」
 くれはは視線をチョッパーへと転じた。
 チョッパーは椅子を運んでくると、その上に飛び乗った。それでもまだサンジより目線 が低いが、机の上に手が届くようになる。
 透明な砂利程度の小さな青い石を一掴み深いガラスの器に入れると、チョッパーは 手早く加熱用ランプに火を入れた。器ごと青い石を火に掛け、その上から粗い白い粉 をきっかり5ジト(1ジト…約2g)降りかけた。ガラスの棒でそれをゆっくりかき混ぜてい くと、青い石は次第に融解を始め、色をなくし、透明な液体になっていった。
「ああ、雪塊石か?」
「うん、溶鉱石の粉を掛けてやるとすぐ融解するんだ。これを蒸留器で蒸留して、あっち の機械で濾過したらちゃんと飲める水ができる。この都市は水資源が0に近いから な、どこの家でもこうしてるんだ」
「でも、雪塊石って高くなかったか?」
「今、ドラムはとっても儲かってるからね。安く手に入るんだ」
 サンジとチョッパーが打ち解けた様子で水を精製しているのを見て、くれはは目を細 めた。
「まだまだ未熟だがね、打てば応える。弟子としちゃ、悪くない」
「何でまたトナカイを弟子に」
 老婆は口の端を吊り上げた。
「昔、ヒルルクってぇバカな男がいたんだけれど、死んじまってね。もとはそいつの弟子 だったのを引き受けたのさ」
 チョッパーは楽しげにサンジと話していて、気付く様子は無い。くれはは声を低くして 話を続けた。
「あの長髪の、ヒルルクに会ったことがあると言ってたみたいだが…アンタもかい?」
「いや、初めて名前を聞いた」
「ふうん…まあそうだろうね」
 くれはは1人納得した様子で頷いた。
 視線がゾロを上から下まで見回す。
「…なんだ」
「…その刀」
 くれはの節くれ立った指が、ゾロの腰の3本の刀を指した。
「どこで手に入れたんだい?」
「…知ってどうする」
 ゾロはゆるりと左手を白鞘にそえた。
 密やかな殺気が立ち上る。
「その黒い鞘の。そいつに見覚えがある」
 視線と視線がぶつかり合った、まさにその瞬間。
 微かに、鳴り渡る鐘の音が聞こえてきた。
 はっとしてチョッパーが振り返り、くれはに走り寄る。
「定時の鐘じゃない!」
「…分かってるよ、どうやらお帰りらしいね」
 サンジとゾロは顔を見合わせた。
「お帰り…って?」
「ドラムの愚王、ワポルの帰還さね」
「オレ、庭園に行ってくる!」
「お待ち!」
「うわぎゃ!」
 一目散に飛び出していこうとするチョッパーに、くれはは手加減抜きで足払いをかけ た。
 顔から転がったチョッパーに、サンジは思わず感嘆した。
 チョッパーが起き上がるのも待たず、くれはは大声で怒鳴った。
「今のこのこ出て行ったら奴等の思う壺だろうが! 朝まで待ちな!」
「だ、だけど…」
「帰ってきたばかりで、いきなり庭園にはこないだろうさ。それに、城にゃドルトンもい る。しばらくはまだ大丈夫なはずだよ」
 絨毯の上にうつ伏せに倒れたまま、チョッパーは首を縦に振った。
「…うん」
「それじゃ取り合えず今晩はお休み、庭園には、明日隙を見て行きゃいい」
「…分かった」
 のそりと起き上がると、チョッパーはベルトで吊った小豆色のパンツを少し引っ張り上 げ、帽子を深く被りなおした。
「さて、あんたたち」
 いつの間にか立ち上がって並んでいたサンジとゾロは、揃ってくれはを見返した。
「今晩泊まるところはあるのかい?」
 サンジが何か答えるより早く、ゾロが一歩前に進み出ていた。
「――いいや」
「ならここに泊まって行きな、部屋はたくさんあるからね」
「そうさせてもらう」
 厳しい眼差しでくれはを睨みつけ、ゾロは頷いた。
 驚いたのはサンジである。
「おい、ゾロ…」
「…少しあの婆さんに話が聞きたい。お前は」
 あいつらの所に戻るといい。そうゾロは言うつもりだった。しかしサンジは首を横に 振った。
「俺も、チョッパーに聞きたいことがある」
 小声の相談が終わったと見るや、くれははサンジを手招いた。
「ちょっと来な、若僧」
「…セイ、です」
「あんたなんぞ若僧で十分だよ。若僧、少し聞きたいことがある」
「なんですか、レディ?」
 何事かと歩み寄りかけたゾロを、くれはは視線だけで制した。
「おっと、そっちの魔獣は先に部屋に行ってな。チョッパー、案内しておやり」
「う、うん」
「おい、俺はあんたに聞きたいことが…」
「話す順番はアタシが決める。順番が来たら呼んでやるから部屋に行ってな」
 有無を言わせぬ口ぶりにむっとしたゾロだったが、突然横合いの本棚が後退し始め たのでそれどころではなくなった。
 見れば、足元でチョッパーが何やら細工を作動させたらしい。本棚はゆっくり後退し ていくと、左にスライドした。開いた空間に通路がぽっかりと口を開き、チョッパーは先 に立って歩き出した。
 サンジは肩をすくめると、「先に行ってろよ。でないと迷子になっちまうぜ」と笑った。
「こんな所でなるか!」
 大股でチョッパーを追って通路に入る瞬間、ゾロは一度だけ振り返った。
 魔女、いや魔導科学者くれはの視線は、真っ直ぐにゾロの腰の黒鞘に向けられてい た。



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