018:異国 -1-
見るもの全てが新しく、見るもの全てが美しい。
「おほぉーっ! すっげぇな、すっげぇな、高ぁー!!!」
「おいおいどうなってんだぁこの建築技術! ナイフの刃ぁ一枚通らねぇぞ!?」
「あああさっすがはドラム、この国には美女しかいねぇのか!?」
「…ん? 刀屋じゃねぇか、珍しい…ってありゃひょっとして!?」
「だからやかましいって言ったでしょうが!」
ごごごごつっ
「…ずびばぜんでじだ」
長い長いトンネルを抜けたそこには、想像を遥かに越えた都市が屹立していた。
まず、国を囲む外壁。
白陽石製の堅固な城壁は、ナイフの刃一枚通らぬほど精巧に組み上げられている。さらに、内部から見上げて初めて分かるのだが、城壁のそこかしこに階段や扉、窓らしきものが見てとれた。つまり、城壁内でも人が生活しているのだ。この国は、城壁自体がまず街になっているのであった。
というより、城壁が街化していったというべきか。
なぜなら、街は幾本もの橋や伸びた建物で城壁と繋がっており、まるで1つの巨大な建造物のごとくそびえ立っていたからである。鉄と煉瓦と石と諸々のものからこの建造物はなりたっており、幾層もの階層を形成しながら上へ上へと伸び上がっていた。
夜だというのに街中に鎚を振り下ろす音が響き、製鉄所の窓から漏れる光は赤々と輝いている。忙しく行き交う人々の間に、鉄と油の匂いがそこかしこに漂っている。
ドラムは軍事国家である。
だから、街中には武器製造に関する建物がほとんどで、緑がほとんどない。
さらに、この特殊な建造物群と城壁のおかげで、ある特筆すべき現象が発生する。
「旅の方、ようこそド…おっと、急いでそちらを耳へ」
「ありがと。ほら、アンタたちも急いでつけて」
「わっかりましたぁ!」
「へいへい」
「これでいーのか?」
「…?」
一行は、トンネルを抜けたところで、兵士に耳栓を手渡された。
ゾロ以外の人間は心得ているらしく、急いでそれを耳に装着する。
何のことやらさっぱり分からないゾロは、着けるのが一瞬遅れた。
ゴォォォォン!!
「―――!!!!!!!!!」
ゾロは物凄い勢いで耳栓を耳に突っ込んだ。
ガゴォォオォン!!
ギガァァァァン!!
オォォォン!
オォォン!
オォン!
…ン…
それは、鐘の音だった。
元はどこの村にでもあるような、普通の鐘に違いない。
だが、この都市の構造上、音は様々な空洞で反響し、乱反射によって強力に増幅され、さらに反射して、結果国中に響き渡ることになる――ある種の爆音として。
そう。
この国の特筆すべき現象。それは巨大な城壁と複雑な建造物群により、音が増幅され反響するという事なのであった。
そもそも、国名の『ドラム』は、古セネアト語で《響くもの》を意味する。建国当時は異なる名の国だったと言われているが、いつしかこの国の特徴を顕著に表す『ドラム』が国名として定着したのだという。
一説には、ナミの演奏するトェラドニに含まれる打楽器のドラームも、この古セネアト語から名づけられたと言われている。
「やれやれ、話にゃ聞いてたがこいつはスゲェな」
音が完全に消え去り、兵士が笑顔で手で丸を書いて見せて、ようやく5人は耳栓を外した。
「み…みみが…」
うっかり装着が遅れたゾロは、両手で耳を塞いでうめいた。
大砲の発射音など比ではない轟音を僅かとはいえ聞いてしまっては、耳が痛くなるのも道理である。
ウソップは苦笑いしながらゾロの肩を叩き、ルフィは遠慮なく笑った。
「遅れたあんたが悪い。さ、行くわよ。滞在する間の宿を決めとかなきゃ」
心なしか愉快そうな表情で言うと、ナミは先にたって通りを――これもある種トンネル状だ――街の外周に沿って歩き出した。
「飯だな!」
「まぁた飯かよ。しか〜し、今回はオレもそれに賛成だ!」
巨漢と化したウソップと、金髪の少年ルフィは無理やり肩を組んで「め〜し、め〜し」と唄いながらナミの後について歩き出した。
「おいゾロ、行くぞー」
数歩歩いて振り返り、サンジはゾロを手招いた。
「…み、耳…」
「おおい剣豪さんよ、しっかりろ。置いてかれたらまぁた迷子だぜ?」
そう茶化しておいて、サンジは僅かにむせ返った。漂ってきた製鉄の煙から、急いで顔を出し、そのままゾロを放って歩き出す。
ゾロにそんなサンジを笑う余裕は無かった。
「ぐぬぬ」
両手でしっかり耳を押さえたまま、ゾロはよろよろとサンジの後ろについて歩き出したのだった。
「私は一人部屋、あんたたち4人で一部屋。OK?」
「…なんつぅか理不尽だよな」
「OK?」
「OK!!!!!!」
都市の外周、つまり町外れ。
一行は、巨大建造物の一階、城壁側の道路に面したそれなりの安宿に部屋を取ることにした。あまりに安い宿だと、夜中に泥棒が出たり寝首をかか れそうになったりと、かえって危険なものだ。
夜中にも関わらず、宿のロビーには数人の旅人がたむろして、あれやこれやと情報交換に花を咲かせていた。安全な旅を続けるためには、欠かせな いことだ。
一行は取り合えず割り当てられた部屋に行き、大きな荷物を置いた。数枚のガラスを重ねて作られた分厚い窓のよろい戸まできっちり閉めて、ガッチ リ鍵を掛け、さらにウソップの開発した「ウソップ式ミラクルキー」を4つほどつけた。ついでにナミが魔法による不可視の鍵を重ね掛けする。
ドアは非常に分厚く、閉じると隙間が全く無くなるように作られていた。こちらにも、「ウソップ式ミラクルキー改」をつけ、さらにナミが魔法の鍵を掛ける。
「随分面倒だな」
「そりゃ、荷物取られたら困るからなぁ。ほとんどの旅人がこのくらいやってる。テメェだってそうだろ?」
「…」
ゾロは一度たりともこのようなことはしたことがなかった。
というより、宿に泊まってドアや窓に鍵をかけた覚えもなかった。
何度か荷物を取られそうになったことがあったのだが、盗人は取り合えず切って捨てた。
…ということを話すと、何だかナミに怒られサンジにバカにされそうな予感がしたので、ゾロは黙っていた。
宿は、城壁と同じ白陽石とレンガを組み合わせて作られた、この都市では一般的な建造物だ。火と水に強く、軍事大国としては理想的な健在である。
一行は大きな荷物を部屋という金庫の中にしまいこむと、ロビーに集合した。
「じゃあ、まずはご飯ね」
ナミはすっかり引率の先生だ。
「向かいの建物が終夜営業の食堂だから、そこに行くわよ」
「おー!!」
ロビーにいた数人の旅人が一瞬ルフィとウソップを見て、クスッと笑った。
「めーし! メーシ! めーし!」
巨漢と少年はまたもや肩を組んで、音程のまったく合っていない歌を唄いながら宿を出て行った。
ゾロも続こうとして、振り返る。
見ると、サンジはナミと何事か小声で話し合っていた。
サンジはしきりに何かを頼み込んでいるようで、ナミの眉間にはシワが寄っている。
「…どうした」
演奏会の相談でもしているのかと思い、ゾロはそちらへ歩み寄ろうとした。
するとナミは溜息を漏らし、ゾロの鼻先に指を突きつけた。
「コイツを一緒に連れてくなら、いいわ。あいつら、食べ始めたら腹一杯になるまで止まらないし」
「えぇえ!? そりゃないですよ、なんでこんなむさ苦しい筋肉バカと…」
「何だとこの…」
――グル眉思春期。
そう言い返そうとして、はたと詰まった。
セイの姿になったサンジの眉は、巻いていない。
ゾロは困った。
「単独行動は禁物、旅の基本でしょ! コイツと一緒に行くか、でなきゃあいつらが食べ終わるのを待ってからにしてもらうわよ」
セイ、もといサンジは腕を組んでしばらく考え込んでいたが、1つ溜息をついて首を縦に振った。
「分かりました、カレンさんの言う通り、コイツ同伴で行ってきます」
「よろしい。何かあったらすぐ《呼ぶ》のよ。いいわね?」
「勿論です」
ナミはゾロに向き直ると、通り過ぎざま小声で呟いた。
「何かしようとしても無駄よ、すぐ分かるんだから」
「はぁ?」
黒い薄絹のワンピースの裾をひるがえし、ナミは勢いよく出て行ってしまった。
取り残されたゾロは、恐る恐るサンジに目をやった。
「行くぞ」
「って、どこに」
「…“秘密の花園”」
「あぁ!?」
「着いてくりゃ分かるさ」
サンジはニッと笑うと、ゾロが着いてくるのを待たずにさっさと歩き出した。
「…“秘密の花園”って…あいつ花街にでも行くつもりか…?」
急いでその後を追いながら、ゾロは首をかしげた。
ドラムの街中はまるで迷路のように入り組んでいた。
それも3次元の立体的な迷路である。
方向音痴のゾロでなくても、初めてこの国を訪れた者なら誰しも一度は迷子になるであろうと思われた。
しかし、そんな迷宮の中をサンジは迷うことなくある場所を目指して進んでいく。街の中の空気は綺麗とは言えず、時折サンジは僅かに咳き込んでは悪態をついた。
もうすぐ深夜になろうというのに、たくさんの人々が行き交う通り。その中を縫うようにして、2人は歩き続けた。
「おい、サ…」
ゾロはごほんと咳払いをし、そっと周囲の様子を伺った。
どうやら誰も聞いていなかったようだ。
「セイ」
「ん、なんだ?」
数歩先を歩いていたサンジは、首だけで振り返った。けれども歩みを止めることはなく、器用に人を避けて先へ進んでいく。
「お前、この国に来たことがあるのか?」
「ああ、昔な」
短く答えて角を曲がる。
突然人通りが絶え、喧騒が遠ざかった。
これもドラムではよくあることだった。たった一本通りを入るだけで、また、とある部屋の扉を閉めることで、突然、まるで無音のような空間が出現する事があった。実際には本当に無音になるわけではなく、遮蔽物などの関係により、比較的静かな空間が偶然生じているに過ぎない。だが、国中が始終何らかの音に晒されているため、僅かな静けさがより強調して感じられるのであった。
そんなこととは知らないゾロは、物珍しそうに周囲を見回しながら歩いた。
このあたりは、建物は白陽石ではなく木と鉄で作られている。上空に向かって谷状に建物がそびえ立っており、所々に窓やベランダ、谷を越えて行き 来する通路などが見受けられた。いくつかオレンジ色の光が漏れているのは、誰かがそこで生活している証であった。ほとんど日のあたる事のないこの ような谷が、この都市には随所に存在する。
かと思えば、不意に開けた空間に出る事があった。
広場のように見えるそこは、実は建物の屋上で、大抵周囲をさらに高い建物に囲まれており、四角い空を見ることが出来た。
上層に行くに従い、そういった空間が数を増していく。それに連れて空気が目に見えて綺麗になっていき、サンジの咳は止まり、ゾロも大きく深呼吸を 繰り返した。
――上に向かっているのか。
ゾロはサンジの背を追いながら、ふと上を見上げた。
都市全体が1つの巨大な建造物と化したこの国を、サンジはどうやら上へ上へと上っているらしい。
今ひとつ、周囲の建造物のせいで実感の湧かなかったゾロだったが、建物の端に来てようやくその事を実感した。
いつの間にか、2人は都市の遥か上層まで上ってきていた。
地上から見上げたときは、雲を突くかと思われた城壁。その最上部と同じ高さまでやってきている。城壁の向こう、広がる森林や平野を見渡す事が出 来た。見下ろせば、小人のような大きさの人々が歩いている様が見える。また、ここでは風が非常に強く、サンジは長い髪を片手で押さえながらその景 色を見回していた。
「おい、“秘密の花園”ってなぁ、ここか?」
「いや」
サンジは目を細め、視線を落とした。
「この辺りにあったんだ」
「…無くなっちまったのか」
「かもしれねぇな。俺がここに来たのは、ホントに昔の事だし」
「もう少し探してみちゃどうだ。どんなところか教えてくれりゃあ俺にも手伝える」
「…ああ、そうだな」
上の空で返答すると、サンジは再び視線を上げた。
振り返り、さらに上へと伸びる建造物を見上げる。
ゾロは正直な感想を漏らした。
「…デカイな」
威容を誇るその建造物には、やたらとたくさんの旗がひらめいていた。
旗に描かれているのは、10本の剣が、切っ先を中心に向けた放射状の輪になっている図案だった。旗の地は青銅色、10本の剣は金色である。
「ああ、こりゃドラムの王城だ」
「王ってのはこんな高いところにいるのか、不便だろうに」
「実際不便だぜ。昇降機で上り下りするんだけどよ、地上に到達するまで何度も乗り継ぐんだ」
「…何で知ってんだ」
「俺、元王子様だから………………なんだよそのツラ」
ゾロは苦虫を噛み潰しつつ笑いを堪え、なおかつ何か酷い失敗をやらかしたような微妙な表情で突っ立っていた。
「あぁ、いや、その。あんなところに住んでるヤツの気が知れねぇなと思って」
「同感。あんな所に住んでちゃ、国の現状なんて絶対分からねぇだろうな。王としちゃ失格だ」
「俺は国政のことはさっぱり分からんが、その意見にゃ賛成だな」
2人並んで王城を見上げながらそんなことを話していると、不意にサンジがポンと手を打った。
「あそこだ!」
言って指差した先は、今いる場所からもう数階上の屋上だった。
嬉しそうな表情で駆け出すサンジに、ゾロも慌てて後を追った。
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