015:夕闇
静かにそっと音も無く、けれど気付けば目の前に。彼らが「神殿」を脱走して、早1年。
“御大”の命令に従い、私が彼らを追跡し始めて早4ヶ月。
その4ヶ月というもの、私は毎日のようにとても珍しいものを見ることが出来た。
腹を抱えて笑う《奇跡の歌い手》。
ワガママ放題の可愛い魔女。
ますます饒舌になる自称勇者。
食べてばっかりの竜の皇子。
昔はこうではなかった。
…時の流れが彼らを変えた。
かつての魔女はお金を貯める事に必死だった。
傍から見ていて哀れなほど、お金を求めていた。
それが今は…あの笑顔。
特に、竜の皇子に対する表情の豊かさと言ったら…見ているこちらまで顔が緩んでくる。
自称勇者の青年とて、今ではまるで別人だ。
与えられた仕事だけを黙々とこなし、自ら何かを創りだすことはない。
ところが今やあの発明コレクションだ。
役に立つ、立たないが問題なのではない。何かを創りだすためのエネルギーを持つ者は、偉大だ。
歌い手ときたら、まるで思春期のよう。
あの頃は生ける屍、いや人形のように何も見ることはなかったのに。
今や“見る”ことにあんなにも貪欲だ。
彼は世界の全てを愛している。けれども同時に怯えている。それがとても、面白い。
…竜の皇子は。
私には不思議でならない…彼は御大と同等の力を持ちながら、何故か刃向かおうとはしない。
ある者は彼を愚者と呼ぶが、それは恐ろしい勘違いである。
封じられた彼の翼と牙が再び解き放たれる事があれば、世界は一体どうなることか。
――本当に、面白いわ。
「時間の流れって、偉大ね」
あの「神殿」にいた頃の彼らと比べて、どうだろう。
一歩外へ出た途端、この変わりようだ。
日に日に4人はたくましくなっていくし、表情は豊かになっていく。新しい言葉を覚え、楽器の演奏の腕前を上げていく。
人間とは、何て面白い生き物なのだろう。
私のこの4ヶ月間の追跡に、彼らはまったく気付いていない。
もちろん、気付かれるようなヘマは一切していないけれど。
…この間彼らに誘われて同行している緑の髪の剣士も、今のところ私に気付いた様子はない。あの男が見込んだ剣士と言うから、少し期待していたのだが。
もっとも、その戦う姿はあの男が言った通り美しく兇暴だった。今後の行動しだいでは、御大自ら関渉を始めるかもしれない。
とはいえ、ひょっとしたら、歌い手は私に気付いているのかもしれない。気付いていて、誰にも打ち明けず、明るいフリをしているのかもしれない。
彼は嘘をつくのがとても上手だから。
「あら、じゃあ、ここのところ彼が精神不安定なのは私のせいかしら?」
白目をむき、口から血の泡を吹いて絶命している男に話し掛ける。
事の次第はこうだ。
…いつものように彼らから付かず離れずの追跡をしていたら、賞金稼ぎの団体ツアーを発見した。
いつもならただ成り行きを見守るだけなのだが、今日は歌い手の歌を聞くことができた。その良い気分を、彼らの怒声や罵声に汚されるのは我慢なら ない。
だから殺した。
それに、たまには数十人を相手に本気を出さないと腕が鈍ってしまう。
30人相手に、かかった時間は約7秒。この数ヶ月間鍛錬を怠ったつもりはないけれど、少し遅い。やはり実戦から遠ざかると鈍ってしまう。
――御大、ドラムの要人か実力者をニ・三人殺せって命令してくれないかしら。
そんなことを考えながら、男の死体を見下ろした。
「それにしても、どうしてあんなに簡単にあの剣士さんのことを信じちゃったのかしら」
地面に魔法であけた深い深い穴に、その死体を放り込む。それは、まるでベルトコンベアーに乗せられているかのように地上を滑っていった。
穴の淵まで骸を運んだのは、地面からはえた私自身の「手」だった。
幼い頃、御大に無理やり食べさせられた悪魔の実。それが私に与えた力がこれ…身体のパーツをあらゆる場所に、まるで花の如く咲かせる能力だっ た。慣れれば実に便利な能力だ。…見た目には、少しインパクトが強いけれど。
無造作に、男を穴の中に放り込む。
「今までの彼には考えられない行動だわ。御大に報告しなければね」
ざっと30人分の死体が放り込まれた深い穴を見下ろす。
――本当に、どうして、あんなに簡単にあのゾロとかいう男を信用したのかしら?
考えられる理由はいくつかある。
例えば、何となく。
あるいは、歌い手の好みだったから。
でなければ、あと理由として考えられるのは…「時間」。
時間がもう無いと、歌い手は気付いている?
だとすると様々な事に合点が行く。歌い手の情緒不安定さも、ゾロを同行させていることにもだ。
そうとなれば、確かめなければならないだろう。
「remeti firmaj^o!」
魔法であけた穴を、魔法で閉じる。
言葉が発せられると同時に、みるみる地面は埋まっていった。音一つ立たない。
数秒後には、そこにはただ平らな地面が広がっているだけだった。
――さて。
御大への報告を済ませ、私は夕闇迫る空を見上げた。
今のところ、私に課せられた仕事は「《奇跡の歌い手》一行を追跡し、動向を逐一報告せよ」というものだけ。
この数ヶ月間、それを忠実に実行してきた。勿論、歌い手への直接関渉については認められていないから、調査は慎重に行なう必要がある。
それに、これから彼らが向かおうとしているドラムには、あの厄介な者達もいたはずだ。
十分に気をつけていかなければ。
とはいえ、今までやってきた様々な任務に比べれば格段に楽な仕事なのは間違いない。結局のところ、休暇のような状況である事に変わりはないだろう。
実際、彼らを追跡するのは悪くなかった。彼らを見張るのはとても楽しいことだし、運がよければ歌い手の歌も聞ける。彼らが眠っている間にゆっくりと読書もできるし、各地の遺跡を直に見ることもできた。
…まるで普通の旅人のように、旅をした。
けれど、私は《忍び寄るもの》の二つ名を持つ者。
暗殺を生業とし、御大の腹心として生きる者――ニコ・ロビン。
所詮は血塗られた女なのだ。こんな平和なひとときなど、私には似合わない。
黒織蜘蛛の糸製のスーツの背を大きく開ける。
風を裂く音と共に、漆黒の翼が現れる。2、3度軽く空気を打って、ふわりと空へ舞い上がった。
夕闇の空を裂いて飛ぶ。
そう、この紅さ。
私の翼は、とうの昔に真紅に濡れているのだ…。
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