013:道標 -2-
「うほぉー!!!! すっげぇぞ、早く来いよぉー!」
かなり先を進んでいたルフィとウソップ、そしてナミが手を振っている。
練習のとき以来すっかり無口になってしまったサンジと、そんなサンジに話し掛けたいのだがどうしていいのか分からずやっぱり無口になってしまって いたゾロは、ほぼ同時に顔を見合わせて口を開いた。
「おい」
「なあ」
二人揃って微妙な表情で見つめあい、そして同時に吹き出した。
「行こうぜ、峠だ」
「ああ」
同時に走り出し、それがまたおかしくて笑う。
途中から競走になり、結構本気で坂を駆け上がった。
そして峠にたどり着く。
峠には、道標であり、旅人が旅の無事を祈る石塚が建てられていた。積み上げられた石には文字が書かれているものも多く、そのほとんどが風と旅 の神ティナミディへの祈りの言葉だった。
その道標の傍に立ち、広がる遠望を見下ろす。
「うわぁ」
歓声をあげたきり、サンジは静かになった。
眼下に広がる美しい景色。
青草波打つ平原に、様々な種類の木が生い茂る森、遠くに見える空とは違う青は海。
湖から流れ出た、あるいは遠くからやってくる幾筋もの河が陽の光に白く浮かび上がる。
見上げれば手が届きそうな雲、蒼天にかかる青のグラデーション、飛んでいく鳥の群れ。
強い追い風に舞い上がるマントを目で追えば、その先には大きな城砦都市が突き出している。
湖沿い、そしてかなたの海の近くに微かに見えるのはきっと村であろう。
遠すぎて見えないが、そこには確かに人の営みがある。
頭上を行く鳥が一声鋭く鳴いて、景色の上を彼方へ飛んでいく。
こんな風にゆっくりと景色を見たことのないゾロは、眺めに純粋に感動していた。
ただ、綺麗だと思う。
「綺麗、だなぁ」
サンジがぽつりと呟いた。
声がひどく揺れているのは、気のせいだろうか。
しかし、不意にルフィとウソップに両腕を引っ掴まれ、ついでに口まで塞がれて、ゾロはサンジからずるずると引き離された。
「むがぁ!?」
「しぃーっ!!! デカイ声出すな!」
そのまま30セルト(1セルト=約1.2M)ほど引き摺られていく。
道をそれた林の茂みの裏まで来て、ようやくルフィたちはゾロを解放した。
「なんなんだよ、一体」
「いいから静かにしときなさい」
同じく茂みの裏にしゃがんだナミの有無を言わせぬ強い口調に、ゾロは逆にくってかかった。
「理由を教えろ」
「…見てりゃ分かるわよ」
そう言ってナミが沈黙したので、ゾロも黙らざるを得なかった。
あれだけ騒々しかったルフィとウソップは、さらに少し離れたところで、小さな声で何事か話し合っている。
茂みから、ゾロはそっと顔を覗かせた。
「……」
そのままゆっくり顔を引っ込める。
ナミは茂みに背を向けていた。怒ったような表情で、杖の先で地面を掘り返している。
サンジは峠に腰を下ろし、景色を見つめ、泣いていた。
声は一切出していない。
ただ、静かに涙を流すだけ。
「…私達が一緒だとね、サンジ君格好つけるのよ」
ナミの杖が、地面をがりがりとひっかく。
「私の事誉めたり。ウソップとバカ話したり。ルフィから食料守ったり」
コンコンと小さな石ころを叩き、つついてルフィ達の方へ転がしてやる。
「明るいふり、するの」
がりがり、がりがり。
地面を引っかく。
「だから、こんなときは私達一緒にいちゃいけないの。…私達がいたら、泣かないんだもの、絶対」
よく見ると、ナミの杖は細かな傷だらけだった。
魔法だけでは戦えない時もあったのだろう、杖先にかすかに染みが出来ている。
血の、染みであった。
「別に泣いたって格好悪いなんて思わないのにね」
ガツン、と石を叩く。
「…唄ったって、怖いなんて思わないのにね」
膝を抱え、杖を地面に転がす。
顔だけゾロの方に向けて、ナミは寂しそうに笑った。
「アンタ、サンジ君に子守歌唄って貰ったでしょ」
「…聞いてたのか?」
ゾロの問いには答えず、ナミは言葉を続ける。
「奇跡に近いわよ。起きてる人の前でサンジ君が唄うのって。サンジ君ね、唄う姿を私達に見られたくないみたい。…きっと…」
「きっと?」
ナミはふっと遠くを見、視線をゾロからルフィとウソップに移した。
「…喋りすぎたわ。あとは自分で気付いてちょうだい」
そのまま静かになってしまう。
釈然としない気分のまま、ゾロもだまって座っていた。
思い返してみると、サンジの子守歌を聴いたとき、ゾロは目を閉じていた。だから、サンジがどんな表情であの歌を唄っていたのか知らないのだ。
あのときの声は確かに優しく美しかったが、歌い手の表情はどうだったのだろう。
本当は、嫌な顔をしていたかもしれない。
本当は、泣きそうな顔をしていたかもしれない。
何にせよ、もう確かめる事はできない。
その時、であった。
小さな、声。
唄っている本人は、自分にしか聞こえない程度の声で唄っているつもりなのかもしれない。けれど、歌い手の声は彼が想像する以上に遠くまで響く。
当然、茂みに隠れている4人にも、それは聞こえてきた。
緑の海
金の稲穂
君待つ窓辺
子ら眠りし寝屋
今は遥かなるかの地
いつの日にか還らん
君が歌を心に
君が歌をたどりて
「…戦場の、兵士の歌よ」
膝に顔を埋めて、ナミはくぐもった声で言った。
「嫌な歌」
ゾロは我知らず腰の刀の束を握り締めていた。
嫌な歌。
ナミの言葉が脳裏を駆け巡る。
――どこがだ?
ゾロは、良い歌だと思っただけだった。
昔の事を思い出す。
村で、サンジたちの演奏を聞いたときのように。
何も知らなかった頃の自分。
小さな村が世界の全てだった、幼い日。
いつか世界一の剣士になると息巻く自分。
そんな自分が勝てない幼馴染の少女。
一体サンジがどんな表情で唄っているのか気になったけれど、茂みから顔を出してサンジを見る気にはなれなかった。
泣きながら唄っているのかもしれない。
あの嫌味な笑顔で唄っているのかもしれない。
だが、それを確認してはいけない。
――いや、見て欲しくないから、ルフィたちは自分をサンジから引き離したのかもしれない。
「私、この歌、嫌い」
再びナミが呟く。
顔を上げて、小さな声で、けれどはっきりと。
「サンジ君が唄うとヒドイんだもの」
「…酷い?」
「アンタは平気なの?」
…昔の事を思い出すのは、平気なの?
そう問われて、ゾロは黙り込んだ。
昔の事。
それは美しく、甘く、感傷的である。
けれども同時に哀しく、苦く、心を苛む。
痛みを、思い出す。
炎に沈む村。
錆びた鉄によく似た風の匂い。
真っ赤に染まった幼馴染の少女。
どうにもならない。
どうしようもない。
どれだけ後悔しても、忘れたつもりでも、その傷は今でも塞がってはいないから。
思い出の場所には二度と帰れないと知っているから。
「…そうだな」
強く、強く。
刀の柄を握り締める。
「嫌な歌、だな」
いつの間にかいなくなっていたルフィとウソップが、騒々しく声を上げながらサンジの傍まで寄って行って。
サンジが何事も無かったかのように応じて。
そうなるまで、ナミとゾロはずっと黙って座っていた。
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